神さま、あと三日だけ時間をください。
第1章 ♭眠れぬ夜♭
「―あなた、起きてる?」
声をかけるのには更に勇気を要した。
「ねえ、琢郎さん―」
言いかけた時、琢郎のくぐもった声が聞こえてきた。
「何だ」
いかにも興味のなさそうな声に、心がはや折れそうになる。美海は琢郎の側に近づき、その肩に軽く手をのせた。
「今夜はどう?」
「今夜? 一体、何を言ってるんだ」
琢郎の声がいっそう不機嫌になった。
「だから―」
夫婦二人きりの寝室である。この科白だけで美海の言わんとしているところは十分すぎるほど伝わると思うのだが、琢郎は本当に気づいていないのか、フリをしているだけなのか、一向に乗ってこない。
美海の中で惨めさだけがいや増していく。
「久しぶりに、どうかなあと思って」
それが美海の口にできる限界であった。
ストレートに〝しない?〟と口にできるほどの勇気も大胆さもおよそ持ち合わせてはいない。良くも悪くも、それが自分という人間なのだ。
「ねえ、琢ちゃん」
交際期間、美海は夫を〝琢ちゃん〟とふざけて呼ぶことがあった。それは大抵、二人が良い雰囲気のときに限っており、琢郎は美海からそう呼ばれると、すごぶる機嫌が良くなったものだ。
しかし―。今夜はどうやら、美海のとんだ見当違いだったようである。というより、既に琢郎という男そのものが変わってしまったのかもしれない。美海がこの十一年の結婚生活で変わってしまったように。
琢郎の肩に手を乗せたまま、夫の背中に頬を預けようとしたまさにその寸前だった。
「止さないか!」
氷の欠片を含んだような冷え切った声音が美海の心を切り裂いた。
琢郎がガバと身を起こし、美海を見据えた。
「一体、今夜に限って、どうしたっていうんだ? 安っぽい下品な匂いをプンプンさせて、水商売の女のような格好をして」
美海を見つめるその瞳もまた、真冬の海のように冷たかった。心なしか、その奥底にはかすかな蔑みすら込められているようで。
ああ、私たちはもうこれでおしまいなのだ。
美海の心に絶望がひたひたと押し寄せてくる。
声をかけるのには更に勇気を要した。
「ねえ、琢郎さん―」
言いかけた時、琢郎のくぐもった声が聞こえてきた。
「何だ」
いかにも興味のなさそうな声に、心がはや折れそうになる。美海は琢郎の側に近づき、その肩に軽く手をのせた。
「今夜はどう?」
「今夜? 一体、何を言ってるんだ」
琢郎の声がいっそう不機嫌になった。
「だから―」
夫婦二人きりの寝室である。この科白だけで美海の言わんとしているところは十分すぎるほど伝わると思うのだが、琢郎は本当に気づいていないのか、フリをしているだけなのか、一向に乗ってこない。
美海の中で惨めさだけがいや増していく。
「久しぶりに、どうかなあと思って」
それが美海の口にできる限界であった。
ストレートに〝しない?〟と口にできるほどの勇気も大胆さもおよそ持ち合わせてはいない。良くも悪くも、それが自分という人間なのだ。
「ねえ、琢ちゃん」
交際期間、美海は夫を〝琢ちゃん〟とふざけて呼ぶことがあった。それは大抵、二人が良い雰囲気のときに限っており、琢郎は美海からそう呼ばれると、すごぶる機嫌が良くなったものだ。
しかし―。今夜はどうやら、美海のとんだ見当違いだったようである。というより、既に琢郎という男そのものが変わってしまったのかもしれない。美海がこの十一年の結婚生活で変わってしまったように。
琢郎の肩に手を乗せたまま、夫の背中に頬を預けようとしたまさにその寸前だった。
「止さないか!」
氷の欠片を含んだような冷え切った声音が美海の心を切り裂いた。
琢郎がガバと身を起こし、美海を見据えた。
「一体、今夜に限って、どうしたっていうんだ? 安っぽい下品な匂いをプンプンさせて、水商売の女のような格好をして」
美海を見つめるその瞳もまた、真冬の海のように冷たかった。心なしか、その奥底にはかすかな蔑みすら込められているようで。
ああ、私たちはもうこれでおしまいなのだ。
美海の心に絶望がひたひたと押し寄せてくる。