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神さま、あと三日だけ時間をください。

第4章 ♭切ない別れ♭

 暗証番号を押しロック解除して、ドアを開けた。
 短い廊下を進んでリビングに脚を踏み入れるやいなや、美海は絶句した。ビール缶や焼酎、ウイスキーの小瓶が至るところに散乱している。申し訳程度につまみの小袋が転がっているが、開けた形跡はあるものの、中身は殆ど減っていない。
 琢郎はそのゴミの山の中に転がっていた。
 大の字になって、ぼんやりと天井を仰いでいる。
「琢郎さん?」
 美海が恐る恐る声をかけてみると、琢郎は睫をかすかに震わせた。
「―美海が帰ってきたのか? それとも、飲み過ぎて気が変になって、いよいよ見もしない幻を見るようになっちまったのか?」
 呂律(ろれつ)が怪しいし、眼は座っている。どうせ、ろくに食べもせずにアルコールを浴びるように飲んでいたに違いない。
「私、美海よ。帰ってきたわ」
 琢郎が緩慢な仕草で顔を動かした。
「美海」
 いきなりガバと身を起こし、美海に抱きついてきたので、流石に愕いた。また前夜と同じことなのかと警戒してみたが、琢郎は美海を抱きしめたまま、その髪に顔を埋めているだけだ。
「俺は美海が好きだ。お前なしじゃ、生きていけない。美海、俺を棄てないでくれ」
 愛してるんだ、棄てないでくれ。
 琢郎はうわ言のように幾度も繰り返した。亭主関白をもって任じる普段の琢郎なら絶対に口にしないような科白である。
「会社は休んだの?」
 美海が子どもにするように優しく問うと、琢郎はうんうんとまた子どものように頷く。
「うん、お前がいなくなっちまったっていうのに、会社なんて行ってられるか。ずっと、ここで待ってたんだ。どうして、もっと早くに帰ってこなかったんだ? 俺は待ちくたびれて、お前がもう帰ってこないのかと」
 琢郎の声が戦慄いた。かすかな嗚咽が洩れ、夫が泣いているのだと判った。
「美海、お願いだ。どこにも行くな」
「判った。私はどこにも行かない、だから、安心して、あなた」
 美海が言い聞かせるように囁く。
 琢郎の蒼白い顔にわずかに赤みが差し、あからさまな安堵の表情が浮かんだ。
「良かった、俺は美海がいないと駄目なんだ。お前がいなきゃ、駄目になる」

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