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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第6章 第二話・其の弐

 美空は、それまで良人の話にじっと耳を傾けていた。だが、そのときだけは問わずにはいられなかった。
「俊昭さまとの間の壁―、でございますか?」
「ああ」
 孝俊は哀しげに揺れる眼で美空を見つめた。
「俺が江戸で町人として暮らしていた丁度その頃、俺の父が叔父上―つまり俊昭の父に内々に訊ねたそうだ。もし俺が父上との約束を守らず、尾張藩主の座を継がなかった場合、俊昭を次の藩主に迎えても良いかと」
 その頃、既に兄高晴は亡くなっていた。孝俊と父孝信の間には一つの約束があった。それは、孝信自身に何かあった時、即ち病に倒れたり逝去した場合は、すみやかに戻り、家督と藩主の地位を継ぐことである。
 だが、頼りにしていた世継高晴を失ってからの孝信は、精神的にかなり追いつめられていた。ゆえに、孝俊との約定を信じ切れず、弟―俊実に息子俊昭を万が一の場合には尾張徳川家の跡取りに欲しいと頼み込んでいたのだ。
 俊実は兄からのその話を歓んで快諾した。
「それがそもそもの間違いの因だった。もちろん、父上と叔父上の約定は内輪のもので、それを知るのはごく一部の重臣のみであったが、俊昭も叔父上も内心は俺が二度と戻ることはないと思い込んでいたらしい。俊昭自身、自分は次の尾張藩主になるのだと信じて疑っていなかったようだ」
 俊昭に孝俊が再会したのは、亡父孝信の葬儀においてであった。名古屋城で亡くなった孝信の葬儀は盛大に行われ、孝俊は喪主として、次の尾張藩主としてすべてを取り仕切った。
 その時、十年ぶりに再開した従弟は、まるで別人のような冷たい眼で孝俊を見たのだ。
―お前は勝手な奴だな。自分が居心地が悪いときには、勝手に出ていって、いざ親父が死んで自分の思い通りにやれるようになったら、のこのこと戻ってくるのか?
 俊昭の言葉は、あまりにも痛烈だった。しかし、全く見当違いなことでもなかったのだ。
 確かに、孝俊のしたことは、そう言われても仕方のないことではあった。
 孝俊がひとたびは尾張藩を出て、市井で生きようとしたことは、傍から見れば、尾張藩を捨てたと思われても不思議はなかったのだ。

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