
激愛~たとえ実らない恋だとしても~
第8章 第二話・其の四
その、いかにも人を喰った態度に、孝俊の怒りは余計に募ったようだ。
色を失ってやって来た孝俊の拳がいきなり俊昭の顔面を直撃した。俊昭の方は思いがけぬ攻撃に遭い、いとも呆気なく引っ繰り返る。
「口ほどにもない奴だな。女を口説く弁舌には長けていても、武芸の鍛錬の一つもしてはおらぬであろう。たったの一撃、これくらいのことでこうも容易くやられるとは情けない。貴様などのような軟弱な口先だけの男に美空を口説く資格などない」
孝俊が挑戦的な口調で断じると、俊昭が片頬を歪めた。
その整った面に、嘲笑が浮かぶ。
「ほざいたな。お前こそ口達者なだけの卑怯者ではないか。一度は尾張藩を捨てながら、おめおめと舞い戻ってきたのは、何のためだ、結局は藩主の座について権力を欲しいままにしたかったからであろう」
「俊太郎、この際だからはきと言っておくが、お前は何か誤解をしている。俺は確かに一度、尾張藩も徳川の家も捨てた。市井で一人の町人として生きてゆこうと思ったことも事実だ。さりながら、その後、兄上が亡くなったことは、そなたも存じておろう。俺は病床についた兄上と約束したのだ。もし、兄上が亡くなったときは必ず俺が戻って、家督を継ぐとな」
孝俊は俊昭に〝俊太郎〟と呼びかけた。どうやら、俊太郎というのは俊昭の幼名のようだ。
「―」
それに対して、俊昭からの応えはなかった。が、先刻までのような皮肉げな笑みは消えていた。
「俺が交わした約束というのは、父上とだけのものではない。俺は兄上ともまた必ず戻ってくると約束を交わしたのだ。兄上は一部の特権階級の者たちのための国ではなく、民のための国を作り、民のための政を行えと俺に仰せであった。俺は兄上の悲願を果たすためにも自分が帰って家督を継ぐべきだと信じて疑わなかった。志半ばにして逝った兄上との約束を違えることなど、一度として考えたことはなかったよ」
長い沈黙があった。
俊昭は厳しい顔で前方を見つめていた。美空がこれまで見たこともないような真剣な顔だ。様々な感情が俊昭の顔を通り過ぎていった。疑念、当惑、愕き、後悔―。
色を失ってやって来た孝俊の拳がいきなり俊昭の顔面を直撃した。俊昭の方は思いがけぬ攻撃に遭い、いとも呆気なく引っ繰り返る。
「口ほどにもない奴だな。女を口説く弁舌には長けていても、武芸の鍛錬の一つもしてはおらぬであろう。たったの一撃、これくらいのことでこうも容易くやられるとは情けない。貴様などのような軟弱な口先だけの男に美空を口説く資格などない」
孝俊が挑戦的な口調で断じると、俊昭が片頬を歪めた。
その整った面に、嘲笑が浮かぶ。
「ほざいたな。お前こそ口達者なだけの卑怯者ではないか。一度は尾張藩を捨てながら、おめおめと舞い戻ってきたのは、何のためだ、結局は藩主の座について権力を欲しいままにしたかったからであろう」
「俊太郎、この際だからはきと言っておくが、お前は何か誤解をしている。俺は確かに一度、尾張藩も徳川の家も捨てた。市井で一人の町人として生きてゆこうと思ったことも事実だ。さりながら、その後、兄上が亡くなったことは、そなたも存じておろう。俺は病床についた兄上と約束したのだ。もし、兄上が亡くなったときは必ず俺が戻って、家督を継ぐとな」
孝俊は俊昭に〝俊太郎〟と呼びかけた。どうやら、俊太郎というのは俊昭の幼名のようだ。
「―」
それに対して、俊昭からの応えはなかった。が、先刻までのような皮肉げな笑みは消えていた。
「俺が交わした約束というのは、父上とだけのものではない。俺は兄上ともまた必ず戻ってくると約束を交わしたのだ。兄上は一部の特権階級の者たちのための国ではなく、民のための国を作り、民のための政を行えと俺に仰せであった。俺は兄上の悲願を果たすためにも自分が帰って家督を継ぐべきだと信じて疑わなかった。志半ばにして逝った兄上との約束を違えることなど、一度として考えたことはなかったよ」
長い沈黙があった。
俊昭は厳しい顔で前方を見つめていた。美空がこれまで見たこともないような真剣な顔だ。様々な感情が俊昭の顔を通り過ぎていった。疑念、当惑、愕き、後悔―。
