
激愛~たとえ実らない恋だとしても~
第9章 第三話〝細氷(さいひょう)〟・其の壱
あの一瞬、美空は孝俊(孝太郎)の素姓に疑念を抱いたのだ。ただの小間物売りにすぎない男が何ゆえ、〝万葉集〟なぞという大層なものを知っているのか。その中に収められている歌をまるで流行歌でも諳んじるようにすらすらと口にできるのか。
その疑念は、後に美空が孝俊と所帯を持ってから、明らかになることになる。尾張藩の世継の公子であれば、万葉集の一首を諳んじるほどの教養を有していたとしても、何の不思議もなかったろう。
亡き先代藩主孝信の死により、孝俊が尾張藩主となり、美空はその妻として江戸の尾張藩邸に迎えられることになった。その時、美空は平仮名の読み書きがやっとという有り様であったのだ。当時の裏店暮らしの娘であってみれば、それだけでも十分であったのだが、藩主の正室ともなれば、そういうわけにもゆかない。
それでなくとも、町家の出である美空をいきなり連れてきて、正室にした孝俊を悪く言う者は重臣たちの中にもいる。美空は尾張藩邸に入ってから後、勉学に努めた。ただひたすら孝俊のために、藩主の正室として、尾張藩ご簾中として誰からも後ろ指をさされることなきように様々な教養を身につけたのである。孝俊から推挙された学問の師について懸命に学んだお陰で、今では万葉集ばかりか〝古今集〟、〝源氏物語〟も自在に読みこなせた。
美空に学問の手ほどきをしたのは、孝俊が京から呼び寄せた瀬川という女性である。三十中ほどの、穏やかな気性の女で、五摂家の一つ近衛家で老女を務めていた経歴があった。孝俊の祖母、つまり先代孝信の母が近衛家の出であったことから、尾張徳川家と近衛家は昔から親交がある。その縁で、孝俊が頼み込んでわざわざ美空の指南の師として江戸まで下向してきて貰ったのであった。
また、二年前に美空と孝俊の華燭の典を尾張藩邸で改めて盛大に行った際、美空は近衛家の養女となっている。孝俊は親戚筋にも当たる関白近衛房道に文をしたため、美空を房道の養女としてくれるように頼み込んだ。そういう経緯もあってか、房道は養女の件を快諾、美空は房道の娘近衛芳子という立場で孝俊の室として内外に披露された。
その疑念は、後に美空が孝俊と所帯を持ってから、明らかになることになる。尾張藩の世継の公子であれば、万葉集の一首を諳んじるほどの教養を有していたとしても、何の不思議もなかったろう。
亡き先代藩主孝信の死により、孝俊が尾張藩主となり、美空はその妻として江戸の尾張藩邸に迎えられることになった。その時、美空は平仮名の読み書きがやっとという有り様であったのだ。当時の裏店暮らしの娘であってみれば、それだけでも十分であったのだが、藩主の正室ともなれば、そういうわけにもゆかない。
それでなくとも、町家の出である美空をいきなり連れてきて、正室にした孝俊を悪く言う者は重臣たちの中にもいる。美空は尾張藩邸に入ってから後、勉学に努めた。ただひたすら孝俊のために、藩主の正室として、尾張藩ご簾中として誰からも後ろ指をさされることなきように様々な教養を身につけたのである。孝俊から推挙された学問の師について懸命に学んだお陰で、今では万葉集ばかりか〝古今集〟、〝源氏物語〟も自在に読みこなせた。
美空に学問の手ほどきをしたのは、孝俊が京から呼び寄せた瀬川という女性である。三十中ほどの、穏やかな気性の女で、五摂家の一つ近衛家で老女を務めていた経歴があった。孝俊の祖母、つまり先代孝信の母が近衛家の出であったことから、尾張徳川家と近衛家は昔から親交がある。その縁で、孝俊が頼み込んでわざわざ美空の指南の師として江戸まで下向してきて貰ったのであった。
また、二年前に美空と孝俊の華燭の典を尾張藩邸で改めて盛大に行った際、美空は近衛家の養女となっている。孝俊は親戚筋にも当たる関白近衛房道に文をしたため、美空を房道の養女としてくれるように頼み込んだ。そういう経緯もあってか、房道は養女の件を快諾、美空は房道の娘近衛芳子という立場で孝俊の室として内外に披露された。
