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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第9章 第三話〝細氷(さいひょう)〟・其の壱

現関白近衛房道の養女という立場も得て、今の美空に表立ってご簾中にふさわしからずと異を唱える者はいない。孝俊がここ二ヵ月ばかり浮かぬ顔をして考え込むことが多くなったことを除けば、美空の生活は満ち足りていた。
 しかし、幸福感に包まれているはずなのに、何故か、胸騒ぎがしてならない。
―いつまでも変わらずにいてくれ、美空。そなたの父御の願うたように、永久(とこしえ)にあの空のように俺を見守っていてくれぬか。
 先刻の良人の言葉と、最近の彼の横顔に落ちる翳りは何か関係があるのだろうか。
 美空は孝俊の胸に頬を押し当てながら、かすかな予感に身をおののかせていた。
 六月の空は、美空の不安なぞ素知らぬ様子で、澄み切った蒼を滲ませ、江戸の町を包み込んでいる。

 その数日後、美空は奥向きの居室で、二人の子らと遊んでいた。嫡子徳千代は二歳八ヶ月の悪戯盛りである。次男孝次郞は漸く一歳を迎えたばかりで、これはよちよちと覚束ない脚取りで歩き始めたところであった。
 徳千代は最近、木馬に夢中だ。今も若い腰元に支えられ、美しく彩色された白い小さな木馬に跨り、上機嫌である。
「楓、もっと強く引っ張れ」
 あどけない口調で、木馬に手を添える腰元に命じている。その様を傍らで美空と智島が笑いを噛み殺しながら眺めていた。
「本当に近頃は口ばかりがお達者になって、あれで一人前のおん大将におなりになったつもりなのですから」
 徳千代はまた楓に、偉そうに何か言っている。美空は心もち肩をすくめ、後ろに控える智島に囁いた。
「いえいえ、なかなかご立派なおん大将ぶりにいらせられます。おんゆく末はさぞや頼もしき若君さまとなられましょう」
 と、智島の方は早くも親馬鹿ならぬ、何とか馬鹿ぶりを発揮している。この智島、美空がこの尾張藩上屋敷に来た当時から、ご簾中付きとなり、奥向きでは奥女中を取り締まる老女唐橋に次ぐ立場にある。

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