
激愛~たとえ実らない恋だとしても~
第9章 第三話〝細氷(さいひょう)〟・其の壱
根は悪くはなく、能吏型の頭の切れる男だが、いかにせん、小心で神経質なきらいがある。主税は大切な若君に何かあってはと、徳千代を真綿にくるむようにして育て、庭に出すこともなく日がな部屋の中で乳母や腰元が遊び相手を務めているという日常だ。
「俺もそなたと同じように考えていた。男の子は逞しく育てねばならぬ。そのためには、多少、荒っぽい環境で生い立つことも必要だろう。大名家に生まれた子どもはどうにも甘やかされて育つが、逆にそれが当の子どもを駄目にしてしまうきらいがあるからな。我が儘で軟弱、そんな男に自分の息子をしたくはない。だが、どうやら、余計にこれからはそうもいかなくなった」
「それは、いかなる意味にございましょう?」
美空は眼を瞠る。
妻の視物問いたげな視線を避けるように、孝俊はあらぬ方を見た。
美空が息を呑んで見守っている前で、孝俊はおもむろに立ち上がり、部屋を大股で横切った。
今日もまた、縁側の障子戸はすべて開け放っている。そろそろ初夏の空が西の端から茜色に染まり始めていた。そろそろ淡い夕闇が庭先に忍び寄ろうとする時刻である。
普段は表で夕餉を済ませる孝俊は、たまに夕刻にふらりと現れ、美空と共に奥で食事を取ることがあった。ゆえに、この時間に訪れるのも別段、特別なことではない。
縁先に佇んだ孝俊は、ただ黙って庭を見つめていた。
どうやら梅雨に入ったらしく、二日前から天気は愚図ついた日が続いている。今日も頭上にはいかにも梅雨を思わせる陰鬱な曇り空が低く垂れ込めていた。
帯状になった灰色の雲が幾重にも重なった空の下、紫陽花の色が数日前よりやや深まっている。殊に淡い蒼の紫陽花がうっすらと色を深めているのが印象的だった。昼過ぎまで降り続いていた雨の名残か、緑の葉の上に露のような雫が載っている。
美空は孝俊の後を追い、縁側に立った。上背のある良人の後ろから、つま先立ちするような格好で庭を眺める。気配に気付いたのか、隣に立つ孝俊は口にこそ出さなかったが、眉間に刻まれた皺を黙って深くする。
「上さまがご危篤に陥られたそうだ」
唐突に良人の口をついて出た言葉は、実に衝撃的なものだった。
「俺もそなたと同じように考えていた。男の子は逞しく育てねばならぬ。そのためには、多少、荒っぽい環境で生い立つことも必要だろう。大名家に生まれた子どもはどうにも甘やかされて育つが、逆にそれが当の子どもを駄目にしてしまうきらいがあるからな。我が儘で軟弱、そんな男に自分の息子をしたくはない。だが、どうやら、余計にこれからはそうもいかなくなった」
「それは、いかなる意味にございましょう?」
美空は眼を瞠る。
妻の視物問いたげな視線を避けるように、孝俊はあらぬ方を見た。
美空が息を呑んで見守っている前で、孝俊はおもむろに立ち上がり、部屋を大股で横切った。
今日もまた、縁側の障子戸はすべて開け放っている。そろそろ初夏の空が西の端から茜色に染まり始めていた。そろそろ淡い夕闇が庭先に忍び寄ろうとする時刻である。
普段は表で夕餉を済ませる孝俊は、たまに夕刻にふらりと現れ、美空と共に奥で食事を取ることがあった。ゆえに、この時間に訪れるのも別段、特別なことではない。
縁先に佇んだ孝俊は、ただ黙って庭を見つめていた。
どうやら梅雨に入ったらしく、二日前から天気は愚図ついた日が続いている。今日も頭上にはいかにも梅雨を思わせる陰鬱な曇り空が低く垂れ込めていた。
帯状になった灰色の雲が幾重にも重なった空の下、紫陽花の色が数日前よりやや深まっている。殊に淡い蒼の紫陽花がうっすらと色を深めているのが印象的だった。昼過ぎまで降り続いていた雨の名残か、緑の葉の上に露のような雫が載っている。
美空は孝俊の後を追い、縁側に立った。上背のある良人の後ろから、つま先立ちするような格好で庭を眺める。気配に気付いたのか、隣に立つ孝俊は口にこそ出さなかったが、眉間に刻まれた皺を黙って深くする。
「上さまがご危篤に陥られたそうだ」
唐突に良人の口をついて出た言葉は、実に衝撃的なものだった。
