
激愛~たとえ実らない恋だとしても~
第9章 第三話〝細氷(さいひょう)〟・其の壱
「公方さまと俺は建て前は親戚筋ということにはなっているが、実際に血縁上は遠く、血の繋がりもごく薄いものでしかない。何しろ初代さま以来、既に百年もの年月が流れている。その間、先々代の公方さまのご息女をご簾中に迎えた水戸家などとは異なり、尾張家と宗家は婚姻関係などもなかったゆえ、真は他人同士といっても良いほどの間柄なのだ」
孝俊は視線だけは庭に向けた状態で、淡々と続ける。
「お血筋の繋がりの話は、将軍お跡目にはこの際、何の拘わりもござりませぬ」
美空が平坦な声で告げると、孝俊は駄々をこねる子どものように首を振った。
「そのようなことはない! 血筋だけで申せば、俺などより水戸家の友孝どのの方がよほど今の公方さまに近いのだ。何しろ、友孝どのの父君、先の水戸藩主の母御は公方さまの叔母君に当たられるのだからな。紀州家には三代さま(三代将軍家里)の六男高影どのが養子として入っている。それを思えば、まだしも俺より水戸の方が公方さまに近しい血筋なのだ。水戸が副将軍ゆえ駄目なら紀州の孝兼どのでどうだと申しても、一向に聞く耳は持たぬ。だが、結局、俺の申し様は通らなかった。頭の固い爺ィどもめ」
美空の推察どおり、孝俊にいよいよ将軍継嗣の件が老中から切り出されたのは今からふた月前のことになる。かねてから自分が次の将軍候補に目されていることは、孝俊も筆頭老中阿倍(あべ)誓頼(ちかより)から内々に聞かされて知っていた。だが、美空同様、まさか自分が将軍位に就くことになろうなぞとは考えてもみたことがなかった孝俊であった。
将軍継承の話なぞ、所詮は自分の与り知らぬ世界の話とどこか突き放した醒めた眼で離れて見つめていたのに、二ヵ月前、もしこのまま将軍薨去という事態にでもなれば、尾張家当主である孝俊に次の将軍職をと誓頼から直々に通達されたのだ。
―これは我等老中たちが合議に合議を重ねて出した結論、つまり幕閣にいる者すべての総意だと思し召して頂きたく存じ奉ります。
孝俊は視線だけは庭に向けた状態で、淡々と続ける。
「お血筋の繋がりの話は、将軍お跡目にはこの際、何の拘わりもござりませぬ」
美空が平坦な声で告げると、孝俊は駄々をこねる子どものように首を振った。
「そのようなことはない! 血筋だけで申せば、俺などより水戸家の友孝どのの方がよほど今の公方さまに近いのだ。何しろ、友孝どのの父君、先の水戸藩主の母御は公方さまの叔母君に当たられるのだからな。紀州家には三代さま(三代将軍家里)の六男高影どのが養子として入っている。それを思えば、まだしも俺より水戸の方が公方さまに近しい血筋なのだ。水戸が副将軍ゆえ駄目なら紀州の孝兼どのでどうだと申しても、一向に聞く耳は持たぬ。だが、結局、俺の申し様は通らなかった。頭の固い爺ィどもめ」
美空の推察どおり、孝俊にいよいよ将軍継嗣の件が老中から切り出されたのは今からふた月前のことになる。かねてから自分が次の将軍候補に目されていることは、孝俊も筆頭老中阿倍(あべ)誓頼(ちかより)から内々に聞かされて知っていた。だが、美空同様、まさか自分が将軍位に就くことになろうなぞとは考えてもみたことがなかった孝俊であった。
将軍継承の話なぞ、所詮は自分の与り知らぬ世界の話とどこか突き放した醒めた眼で離れて見つめていたのに、二ヵ月前、もしこのまま将軍薨去という事態にでもなれば、尾張家当主である孝俊に次の将軍職をと誓頼から直々に通達されたのだ。
―これは我等老中たちが合議に合議を重ねて出した結論、つまり幕閣にいる者すべての総意だと思し召して頂きたく存じ奉ります。
