
激愛~たとえ実らない恋だとしても~
第10章 第三話・其の弐
曖昧な笑顔で首を振る美空に、誠志郎は〝そうか〟と納得したように頷く。それ以上、江戸に戻ってはどうかとは言わなかった。
この村に落ち着いてから半年、美空は美空なりに新しい生活に馴染み、孝俊や置いてきた二人の子らのことを忘れようと努力してきたのだ。今になって江戸に戻れば、その努力がすべて無駄になってしまう。
美空は、それにつけても江戸から遠く離れたこの村で過ごした六ヵ月の月日を思った。 美空がこの村に棲みついたのは、今年の水無月の半ばである。江戸の尾張藩上屋敷をひそかに出てから、東へと延びた主街道をひたすら進み、見つけたのがこの村であった。
江戸から主街道を丸一日間歩き続け、二つめの宿場町に入る手前で枝分かれした小道に入った先に、この村はあった。正確にいえば、小道を半刻ほど歩いていると、更に二つに分岐した道に突き当たる。その右側を進めば、この村の入り口である辻堂と螢ヶ池の前に出て、左に進めば、小さな山へ続く山道に至るといった案配だ。
この村のことは、一つめの宿場町で休憩した茶店で聞いた。小さな農村で、村人の数も少なく、身を隠すには好都合だと判断したのだ。
誠志郎がこの村で美空の存在を知ったのは、本当に偶然であった。鄙びたこの村には、月に一度、様々な品を商う行商人がやってくる。紅だとか白粉だとか、手ぬぐい、古着、たまには安物の簪などを持参することもあり、村の女たちはこの男の訪れを心待ちにしていた。要するに、身の回りの細々とした品を取り扱っているわけで、格別にこれと決めて売り歩いているわけではない。
その行商人―太吉(たきち)という―に、仕立物の仕事を紹介してくれないかと頼んだのがそもそもの発端であった。こんな村では自分たちがなけなしの田畑を耕して生きてゆくのが精一杯で、到底、お針に着物を仕立てて貰う贅沢などできない。日常着る着物なら、自分でさっさと縫うか、太吉が持ってくる古着で気に入ったものがあれば購入するかのどちらかに限られた。
この村に落ち着いてから半年、美空は美空なりに新しい生活に馴染み、孝俊や置いてきた二人の子らのことを忘れようと努力してきたのだ。今になって江戸に戻れば、その努力がすべて無駄になってしまう。
美空は、それにつけても江戸から遠く離れたこの村で過ごした六ヵ月の月日を思った。 美空がこの村に棲みついたのは、今年の水無月の半ばである。江戸の尾張藩上屋敷をひそかに出てから、東へと延びた主街道をひたすら進み、見つけたのがこの村であった。
江戸から主街道を丸一日間歩き続け、二つめの宿場町に入る手前で枝分かれした小道に入った先に、この村はあった。正確にいえば、小道を半刻ほど歩いていると、更に二つに分岐した道に突き当たる。その右側を進めば、この村の入り口である辻堂と螢ヶ池の前に出て、左に進めば、小さな山へ続く山道に至るといった案配だ。
この村のことは、一つめの宿場町で休憩した茶店で聞いた。小さな農村で、村人の数も少なく、身を隠すには好都合だと判断したのだ。
誠志郎がこの村で美空の存在を知ったのは、本当に偶然であった。鄙びたこの村には、月に一度、様々な品を商う行商人がやってくる。紅だとか白粉だとか、手ぬぐい、古着、たまには安物の簪などを持参することもあり、村の女たちはこの男の訪れを心待ちにしていた。要するに、身の回りの細々とした品を取り扱っているわけで、格別にこれと決めて売り歩いているわけではない。
その行商人―太吉(たきち)という―に、仕立物の仕事を紹介してくれないかと頼んだのがそもそもの発端であった。こんな村では自分たちがなけなしの田畑を耕して生きてゆくのが精一杯で、到底、お針に着物を仕立てて貰う贅沢などできない。日常着る着物なら、自分でさっさと縫うか、太吉が持ってくる古着で気に入ったものがあれば購入するかのどちらかに限られた。
