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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第10章 第三話・其の弐

徳千代、孝次郞を置いて、たった一人で屋敷を出る―、そのことについては当然ながら、最後まで迷いはあった。しかし、平然と美空から二人の子を取り上げると言ってのけた孝俊を見た時、美空は既に孝俊を信じられなくなってしまっていた。孝俊が将軍継嗣という立場でなくとも、こんな男に付いてゆくことはできないとさえ思うようになった。
 このまま孝俊の思惑どおり、別邸に押し込められ、しかも二人の可愛い子どもたちから引き離されて世捨て人のような日々を過ごすのだけはご免だと思ったのだ。二人の子を連れて出ることもむろん考えてはみたけれど、それは、いかにしても叶わぬことだった。
 孝俊の言葉を認めたわけではないが、徳千代は確かに尾張藩の大切な世継だ。その世継を失えば、尾張藩は根底から揺らぐことになるだろう。
 それに、万が一、徳千代と孝次郞を連れて屋敷を出たとしても、母子三人の生活はけして楽なものではないことは判っている。尾張藩主の公子として生まれた二人をみすみす貧苦の暮らしの道連れにすることは酷(むご)い。
 美空の心は烈しく揺れ動いたが、葛藤の末、選んだのは二人の息子たちを藩邸に残してゆくという道であった。息子たちは、子を捨てた酷い母だと恨むに相違ないが、よくよく考えれば、二人の息子にとっては市井で名もない町人の子として育つよりは、尾張藩主を父に持ち、やがては将軍家の公子ともなるべき運命に身を託した方がよほど幸せというものだろう。
 孝俊のことはともかく、上屋敷に残してきた徳千代と孝次郞のことを忘れた日はない。真冬の凍てついた寒風が吹きすさぶ夜は、風の音が、風が戸を叩く音が、幼子の泣き声に聞こえ、眠れぬ夜が続く。それでも、他ならぬ自分自身が選び取った道であった。今は陰がら遠く離れたこの村でひっそりと暮らしながら、あの子たちの健やかな成長と幸いを祈るしかない。
 誠志郎は月に、二、三度は江戸からやってくる。一度は太吉と一緒だが、その他は大抵は一人で訪れる。遠く離れたここまで、わざわざ仕立物の仕事を持ってくるためだけに、旅をしてくるのだ。

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