
激愛~たとえ実らない恋だとしても~
第2章 其の弐
遠方につい今し方眼にしたばかりの紅葉や桜の樹々が黒々とした影となって立ちはだかっている。その樹々の向こうに巨大な日輪が今にも沈みゆこうとしていた。熟(う)れた太陽は不吉なほどに紅く輝き、空ばかりか、すべてのものを灼き尽くそうとするかのように茜色に染める。
もうすぐ、夜がやってくる。その前に帰らなければと思うのに、両脚は縫い止められたように動かない。そのくせ、男の深いまなざしに見つめられることが怖くて、男の方を見ることもできない。
美空は自分で自分の心を持て余す。
ふいに、熟した柿を思わせる太陽が滲み、ぼやけた。美空は狼狽え、眼をまたたかせる。
白い頬を涙の雫がころがり落ちた。
「どうして泣くのですか?」
男が抑揚のある声で問うた。心に滲みるような深い声だ。
―ああ、この男(ひと)は声ですらも人を魅了する。
そう思うと、今更ながらに泣けてきた。一度溢れ出した涙は意思の力では止められない。何より、彼女自身、自分がどうして泣けてくるのか判らない。
この男を忘れようと思いながらも忘れられず、心のどこかでは、いつも逢いたいと考えていた。あれほど逢いたいと願った男にやっと逢えた。そう思うと、他には何を考えることもできず、ただ込み上げる感情を抑えかねて涙を流すことしかできない。
男は、涙を流す美空を感情の読み取れぬ瞳でじいっと見つめていたかと思うと、おもむろに口を開く。
「玉ゆらに 昨日の夕見しものを 今日の朝に 恋ふべきものか」
美空はハッとして、弾かれたように面を上げる。たとえ意味は判らずとも、男の口から紡ぎ出された言葉は、美空の心深くに滲み込んでくるようであった。
美空の物問いたげな視線に気付いたのか、男が笑う。笑うと、陽に灼けた精悍な顔が随分と幼く見える。普段は彼を包む老成した雰囲気が消え、少年のような屈託のない表情が現れた。
「何故か、あなたに逢った日、この歌を思い出しました」
「それは―歌ですの?」
美空は恥ずかしさに頬を染めた。
「私には難しいことはよく判らないのです。仮名の読み書きがやっとなのですから」
もうすぐ、夜がやってくる。その前に帰らなければと思うのに、両脚は縫い止められたように動かない。そのくせ、男の深いまなざしに見つめられることが怖くて、男の方を見ることもできない。
美空は自分で自分の心を持て余す。
ふいに、熟した柿を思わせる太陽が滲み、ぼやけた。美空は狼狽え、眼をまたたかせる。
白い頬を涙の雫がころがり落ちた。
「どうして泣くのですか?」
男が抑揚のある声で問うた。心に滲みるような深い声だ。
―ああ、この男(ひと)は声ですらも人を魅了する。
そう思うと、今更ながらに泣けてきた。一度溢れ出した涙は意思の力では止められない。何より、彼女自身、自分がどうして泣けてくるのか判らない。
この男を忘れようと思いながらも忘れられず、心のどこかでは、いつも逢いたいと考えていた。あれほど逢いたいと願った男にやっと逢えた。そう思うと、他には何を考えることもできず、ただ込み上げる感情を抑えかねて涙を流すことしかできない。
男は、涙を流す美空を感情の読み取れぬ瞳でじいっと見つめていたかと思うと、おもむろに口を開く。
「玉ゆらに 昨日の夕見しものを 今日の朝に 恋ふべきものか」
美空はハッとして、弾かれたように面を上げる。たとえ意味は判らずとも、男の口から紡ぎ出された言葉は、美空の心深くに滲み込んでくるようであった。
美空の物問いたげな視線に気付いたのか、男が笑う。笑うと、陽に灼けた精悍な顔が随分と幼く見える。普段は彼を包む老成した雰囲気が消え、少年のような屈託のない表情が現れた。
「何故か、あなたに逢った日、この歌を思い出しました」
「それは―歌ですの?」
美空は恥ずかしさに頬を染めた。
「私には難しいことはよく判らないのです。仮名の読み書きがやっとなのですから」
