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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第10章 第三話・其の弐

 また誠志郎のことを思い出していた時、向こうから雪を踏みしめ近付いてくる脚音が聞こえた。
 何の気なしに面を上げた美空の視界に、ゆっくりと接近してくる男の姿が映る。旅の者なのか、目深に深網笠を被り、袴をはいたそのいでたちは、どうやら侍のようだ。愕くほど上背のある姿は面立ちが見えずとも、全身から圧倒的な存在感が漂い、ただ者ではないことが窺い知れる。
 刹那、美空の中で警鐘が鳴った。
―もしや。
 厭な予感が全身を雷のように駆け抜けた。
 何とはなく見憶えのある歩き方に、美空はそろりと後ずさる。美空が身を翻そうとしたのと、得体の知れぬ男が駆け出したのは、ほぼ時を同じくしていた。
「美空ッ」
 ぬっと伸びた屈強な手に手首を掴まれ、美空は悲鳴を上げた。
「何故、逃げる?」
 その声は、紛れもなく良人孝俊のものだ。
 美空の背に氷塊を入れられたときのような恐怖が這い上がる。
「孝俊―さま」
 半年ぶりに呼ぶ良人の名は、どこか空々しく馴染み薄いものに聞こえた。
「ホウ、まだ俺の名を憶えていてくれるとは思うてもみなかったぞ。こいつは光栄だ」
 言葉とは裏腹に、まだ蒼い実をかじったときのような苦い顔で、孝俊は口を開いた。寒々とした戸外の温度よりも、まだずっと低い温度で彼は言った。
「何をしにきたのかと言いたげな顔だな」
 孝俊は苛立たしげに深網笠を取った。
 その顔は相変わらず端整ではあったが、心なしか頬の肉はわずかに落ち、頬から顎にかけての輪郭は美空の記憶にあるものより随分と鋭角的なものになっている。なまじ整った容貌だけに、そのやつれた貌には凄惨な雰囲気が漂っていた。
 皮肉げに口許を歪めた孝俊の表情を、美空は哀しい想いで見つめる。
「とにかく話がしたい。そなたの家に案内して貰おうか」

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