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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第2章 其の弐

 刹那、美空の身体の底から烈しい想いが突き上げてきた。彼女は今、漸く我が身がここ数日間―この男に出逢ってから悶々と心に抱えていた感情の正体に気付いたのだった。
 多分、この持ってゆき場のない、あてどない想いこそが恋というものなのだろう。昨日初めて逢ったばかりなのに、翌日には、もう男に恋してしまった自分、いや、恐らくは、初めて逢ったあの瞬間から、美空は男に惹かれたのだ。
 男のいたあの場所だけが周囲からは隔絶されて見えるほど際立っていると思ったあのときから、美空は男を忘れられなくなった。男の視界に自分という人間が映るその前から、美空の眼には男しか映ってはおらず、既に恋は始まっていたのだ。
 男の整った面にやわらかな微笑がひろがる。
「それでは、私たちは互いに全く同じことを考えていたわけですね」
 「え」と、美空は二度、愕かずにはいられなかった。
 この穏やかな物腰の、どこか謎めいた男が自分と同じことを考えていた―? ずっと、美空に逢いたいと思っていた―?
 俄には信じがたいことだ。もしかしたら、自分はからかわれているのかもしれないと咄嗟に思った。ろくに字も知らぬ貧乏娘と侮られているのかと男の肚(はら)を勘繰ってみたりもした。
 けれど、男の自分に向けられるまなざしには真摯な光が宿っており、嘘偽り、ましてや、美空への侮りなどは微塵もない。
 男がふいに思い出したような顔で懐に手を突っ込んだ。
「そうそう、あなたに逢ったら、渡そうと思っていたんだ」
 言葉と共に差し出されたのは、小ぶりな手のひらに載るほどの櫛。艶(つや)やかな朱色の地にひっそりと純白の水仙が咲いている。
 美空は小さく息を呑んだ。
 同じだと、思った。この男の言うとおり、自分たちはこの数日、全く同じことを考えていたのに相違ない。美空に逢うことがあれば、この櫛を渡そうと懐に入れていた男と、男に逢えば、必ず櫛を買おうと財布を持ち歩いていた美空。
 奇しくも、自分たちは同じことを考え、運命は再び二人を出逢わせた。二度と交わることがないと思っていた縁(えにし)と縁の糸が再び今、この瞬間交わったのだ。

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