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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第11章 第三話〝花笑み~はなえみ~〟・其の参

 その夜、思いがけなく孝俊のお渡りがあった。孝俊が美空の寝所に入ったのは常よりは随分と遅い時間であった。
 枕辺の行灯が室内を淡く照らし出している。気のせいか、障子戸を閉(q)て切っていても、庭で盛りと咲き誇る白梅の馥郁という香りが部屋内にまで流れ込んでくるようであった。
 いつものように両手をつかえて孝俊を迎える。孝俊に抱き寄せられたその時、美空は良人を見上げ静かな声で言った。
「殿、お渡し致したいものがございます」
 孝俊の手が止まった。その整った面にかすかな愕きが走る。
「―」
 黙って見つめる孝俊に、美空は枕辺に置いてあった書物を差し出した。
「お忘れ物にございます」
「これは」
 物問いたげな視線を向けられ、美空は小さく頷いた。
「万葉集にございますね。殿おん自らお書き写しになられたものにございますか?」
「ああ、もう十五年ほど前になるかな。そなたの養父(ちち)とおなり下された関白近衛房道どのがまだ摂政であられた頃、近衛家秘蔵の蔵書を拝見したことがある。房道どのが丁度、京より江戸に下向され、この上屋敷にご滞在していたことがあった。近衛家は、〝源氏物語〟に始まってや〝日本書紀〟、〝古事記〟など、実に多岐に渡る様々な分野の蔵書をお持ちなのだ。俺に万葉集の面白さを教えて下されたのも、房道どのであった。俺は直に万葉集に夢中になった。その頃、房道どのに無理を申して、元本をお借りしたのだ」
「さようにございますか」
 美空が納得したように頷くと、孝俊は薄く笑った。
「最初は流石に房道どのも渋っておられた。万葉集にしろ、日本書紀にしろ、それらは皆、普段は近衛家の蔵に大切に保管している、いわば家宝に等しきものだ。貸して欲しいと頼まれ、〝はい、そうですか〟と容易く貸し出せるような代物ではない」
 孝俊は何かを思い出すような眼で語る。

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