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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第12章 第四話・其の壱

「まあ、智島。そなたが怒らずとも良い。それに、私も別にとりたてて豪奢な打掛や小袖が着たいとは思わぬ。元々、私は町家の生まれ育ちゆえ、質素倹約には慣れておるでの。長屋で暮らしていた時分を思えば、今の暮らしは贅沢すぎて仏罰が当たろうというもの、表の老中たちがそのように申しているのであらば、それに従えば良い」
「御台さまッ」
 永瀬の前で悪びれる風もなく町家の出であることについて触れる美空に、智島が色を失って、たしなめる。
「良いではないか。智島、永瀬は私が元を正せば町人であることも存じておるし、ましてや、その出自ゆえに私を軽んじたりはせぬ。そなた、一年もこの大奥におりながら、一体何を見ておったのじゃ?」
 美空は事も無げに言う。
 永瀬は我が意を得たりとばかりに続けた。
「流石は御台さま、ありがたきご諚に、この永瀬、嬉しうござりまする。全く、あの堀田筑前守は、けしからぬ者にござります。私ども下々の者ばかりか、御台さまご衣裳にまでその懸かりを少なくせよとは何たる不心得、笑止千万」
 大奥に仕える女中たちにとって、御台所はいわば至上の存在であり、大奥の筆頭者である。その御台所を蔑ろにする者は結局のところ、大奥に仕える女中たちの敵でもある。
 幸いなことに、永瀬が睨みを利かせているせいもあってか、大奥では尾張藩の奥向きで美空が曝されたような、あからさまな敵意や蔑みの眼はなかった。大奥には下はお末から、御年寄の預かりとなっている部屋子、中堅どころのご中﨟と実に様々な立場の女中たちがひしめいている。将軍夫妻に拝謁を許されるお目見え以上の者、更に拝謁を許されぬお目見え以下の者を合わせれば千人以上にのぼる。
 その中には、町人出身の者は少なくはなく、自分たちと同じ市井の出でありながらも天下人に見初められ、御台所にまで上りつめた美空を羨望と憧れのまなざしで見る者はいても、蔑みの対象とする者はいないというのが実状であった。

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