
激愛~たとえ実らない恋だとしても~
第2章 其の弐
自分が孝太郎から大切なことを何も話して貰えない―、そのことを思い出すと、美空の心は暗澹とする。孝太郎は美空に〝好きだ、惚れている〟と言うけれど、果たして、その言葉を信じても良いものか。
そんな疑惑と懸念すら、脳裡をよぎる。それに、気がかりはもう一つあった。二度目に絵馬堂の前で逢った時、孝太郎は美空に万葉集の歌を教えた。後に孝太郎が少しずつ説明したところによれば、あの歌は柿本人麻呂という有名な歌人が詠んだものだという。〝万葉集〟にも収められている恋の歌だが、元々は柿本人麻呂歌集の中の一首だと聞く。
切ない恋心を詠んだ恋の歌をひそかに想いを寄せる女性に贈ること自体は別段、何の不思議もない。自分の心を歌に託して告白しただけのことだ。
だが。よくよく考えてみれば、何ゆえ、一介の行商人にすぎない男がそんな難しげな歌を知っているのか、万葉集なぞという歌集そのもの自体、市井で生きる一般庶民が知るはずのないものだ。その町人が知るはずもない歌集や歌人の名を当たり前のようにすらすらと諳(そら)んじるほどの教養を持つ男。
そんな男が本当にただの小間物売りなのだろうか。それに、時折見せる孝太郎の落ち着いた挙措には抑えても抑え切れぬ気品の良さのようなものがある。粗暴にふるまっているように見える態度の中に、ふとちらりと覗くもの―口を開けば、その品の良さも消えてしまうようにも思うけれど、あれももしや自分の正体を偽る本当に見せかけだけのものだとしたら。
真の値打ち物である壺をどれだけ汚れた部屋に置こうと、その壺そのものが醸し出す価値がいささかも損なわれることがないように、孝太郎には当人が隠そうとしても隠しきれない気品―内側から滲み出てくる光輝というものがある。
それとも所詮、それは恋人の欲目、孝太郎に惚れた美空の弱味だろうか。
「玉ゆらに昨日の夕見しものを今日の朝に恋ふべきものか」
美空は無意識の中に呟いていた。
吐く息が白く細く凍てついた大気に溶けて散る。その吐息と共に孝太郎の教えてくれた恋の歌も儚く消えていった。
こんなに好きなのに、手が届かない。すぐ傍にいると思った瞬間、孝太郎はふっと姿を消し、美空から遠く離れたところに行ってしまう。
そんな疑惑と懸念すら、脳裡をよぎる。それに、気がかりはもう一つあった。二度目に絵馬堂の前で逢った時、孝太郎は美空に万葉集の歌を教えた。後に孝太郎が少しずつ説明したところによれば、あの歌は柿本人麻呂という有名な歌人が詠んだものだという。〝万葉集〟にも収められている恋の歌だが、元々は柿本人麻呂歌集の中の一首だと聞く。
切ない恋心を詠んだ恋の歌をひそかに想いを寄せる女性に贈ること自体は別段、何の不思議もない。自分の心を歌に託して告白しただけのことだ。
だが。よくよく考えてみれば、何ゆえ、一介の行商人にすぎない男がそんな難しげな歌を知っているのか、万葉集なぞという歌集そのもの自体、市井で生きる一般庶民が知るはずのないものだ。その町人が知るはずもない歌集や歌人の名を当たり前のようにすらすらと諳(そら)んじるほどの教養を持つ男。
そんな男が本当にただの小間物売りなのだろうか。それに、時折見せる孝太郎の落ち着いた挙措には抑えても抑え切れぬ気品の良さのようなものがある。粗暴にふるまっているように見える態度の中に、ふとちらりと覗くもの―口を開けば、その品の良さも消えてしまうようにも思うけれど、あれももしや自分の正体を偽る本当に見せかけだけのものだとしたら。
真の値打ち物である壺をどれだけ汚れた部屋に置こうと、その壺そのものが醸し出す価値がいささかも損なわれることがないように、孝太郎には当人が隠そうとしても隠しきれない気品―内側から滲み出てくる光輝というものがある。
それとも所詮、それは恋人の欲目、孝太郎に惚れた美空の弱味だろうか。
「玉ゆらに昨日の夕見しものを今日の朝に恋ふべきものか」
美空は無意識の中に呟いていた。
吐く息が白く細く凍てついた大気に溶けて散る。その吐息と共に孝太郎の教えてくれた恋の歌も儚く消えていった。
こんなに好きなのに、手が届かない。すぐ傍にいると思った瞬間、孝太郎はふっと姿を消し、美空から遠く離れたところに行ってしまう。
