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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第15章 第四話・其の四

    《其の四》

 その夜、大奥には毎夜のごとく、将軍のお渡りがあった。
 夜四ツ(午後十時)、お鈴口の鈴が鳴り響き、この女ばかりの場所に唯一脚を踏み入れることのできる将軍家俊が現れる。白い夜着姿の彼は数人の奥女中に導かれ、寝所に入る。
 同じ頃、美空もまた智島に導かれ、大奥の長い廊下を歩いていた。磨き抜かれた廊下はしんと冷たく、素足から木の冷たさが伝わってくる。桜の花は既に散ってしまったけれど、まだまだ夜気には膚寒さが潜んでいる。
 智島が紙燭で美空の脚許を照らすようにして先導する。将軍夫妻が臥所を共にする寝所の前まで来ると、智島はその場に手をつかえた。
「それでは、御台さま。どうぞごゆるりとお過ごし下さいますよう。おやすなさいませ」
 智島が一礼して去ってゆこうとするのに、美空は思わず呼び止めていた。
「智島」
 呼び声に、智島が振り返る。
 何か物言いたげな美空を見、智島は微笑(わら)った。
「何かご用にござい
ましょうか」
「いや」
 しばらくの迷いを見せた後、美空は小さく首を振った。
 智島はふっと口を開きかけ、優しい笑みを浮かべた。
「矢代のことであれば、どうかお心悩ませられませぬように。御台さまは、わざわざ矢代の許までお運び下さったのでございます。そこまでして下さっても、矢代の決意は揺るがなかったのは、矢代が大奥の女としてよりも、ただの一人の女として生きる道を選んだということにございますゆえ」

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