
激愛~たとえ実らない恋だとしても~
第1章 第一話 春に降る雪 其の壱
毎度のようにおれんの店で気心の知れた飲み友達と盃を重ねていた父が、おれんの悲鳴を聞いて立ち上がったのは当然のことだった。おれんに心を寄せる客は少なくはなかったが、中でも日本橋の呉服太物問屋の跡取りだとかいう若旦那は質が良くなかった。
ろくに遊びも知らぬ世間も苦労も知らぬ若者が思い込んだら、どうにもならない。おれんに入れあげ、思いつめ、一緒になりたいと毎日のように押しかける始末だった。
むろん、家のお店(たな)では、そんな縄暖簾の女将風情を大事な倅の嫁に迎える気はさらさらないのだが、若旦那は両親に勘当されても、おれんを嫁にとテコでも動かない。はっきり言って、おれんもこの横恋慕を迷惑極まりなく思っていたのだ。
その夜も若旦那は陽も暮れぬ中(うち)から押しかけ、一人ねばって、おれんをかき口説いていたのだが、その中(うち)、どうにも我慢ならなくなったおれんが若旦那に〝結婚しようと言ってくれるお人がいる〟と言ったものだから、大変なことになった。
逆上した若旦那がおれんの手首を掴み、引きずってでも家に連れ帰ろうとしたところに、父弥助が止めに入ったのだ。取っ組み合いの喧嘩になった二人は上になり下になりの派手なつかみ合いを繰り返している中、父が下になって倒れた拍子に頭が机の角にまともに当たった。
その一撃が生命取りになろうとは思いもしなかったのは父だけでなく、その場に居合わせた客皆であったろう―、しかし、父はそれから一刻余りの後、おれんに見送られて店を出てほどなく正気を失い倒れた。
折しもその夜は真冬の凍えるような寒さだった。父が変わり果てた姿で発見されたのは翌早朝であった。
知らせを受けた美空は岡っ引きと共に現場に駆けつけた。昨夜、父はおれんの許に泊まったのだとばかり思い込んで、ろくに心配もしなかった。まさか眼と鼻の先で父が意識を失って倒れているとは考えもしなかった我が身の迂闊さを、美空はその後もいかほど悔やんだことか。
検死の結果、弥助の死は、やはり、若旦那と揉み合った際、机の角で殴打したことが直接の原因であると判明した。
恨もうにも誰を恨むこともできなかった。元々、気の弱かった若旦那は己れが一人の男の生命を奪った罪の意識に苛まれるあまり、狂人となり果てたという。
ろくに遊びも知らぬ世間も苦労も知らぬ若者が思い込んだら、どうにもならない。おれんに入れあげ、思いつめ、一緒になりたいと毎日のように押しかける始末だった。
むろん、家のお店(たな)では、そんな縄暖簾の女将風情を大事な倅の嫁に迎える気はさらさらないのだが、若旦那は両親に勘当されても、おれんを嫁にとテコでも動かない。はっきり言って、おれんもこの横恋慕を迷惑極まりなく思っていたのだ。
その夜も若旦那は陽も暮れぬ中(うち)から押しかけ、一人ねばって、おれんをかき口説いていたのだが、その中(うち)、どうにも我慢ならなくなったおれんが若旦那に〝結婚しようと言ってくれるお人がいる〟と言ったものだから、大変なことになった。
逆上した若旦那がおれんの手首を掴み、引きずってでも家に連れ帰ろうとしたところに、父弥助が止めに入ったのだ。取っ組み合いの喧嘩になった二人は上になり下になりの派手なつかみ合いを繰り返している中、父が下になって倒れた拍子に頭が机の角にまともに当たった。
その一撃が生命取りになろうとは思いもしなかったのは父だけでなく、その場に居合わせた客皆であったろう―、しかし、父はそれから一刻余りの後、おれんに見送られて店を出てほどなく正気を失い倒れた。
折しもその夜は真冬の凍えるような寒さだった。父が変わり果てた姿で発見されたのは翌早朝であった。
知らせを受けた美空は岡っ引きと共に現場に駆けつけた。昨夜、父はおれんの許に泊まったのだとばかり思い込んで、ろくに心配もしなかった。まさか眼と鼻の先で父が意識を失って倒れているとは考えもしなかった我が身の迂闊さを、美空はその後もいかほど悔やんだことか。
検死の結果、弥助の死は、やはり、若旦那と揉み合った際、机の角で殴打したことが直接の原因であると判明した。
恨もうにも誰を恨むこともできなかった。元々、気の弱かった若旦那は己れが一人の男の生命を奪った罪の意識に苛まれるあまり、狂人となり果てたという。
