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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第1章 第一話 春に降る雪  其の壱

 美空はひたすら、父の帰宅が遅いのを訝ることもなかった我が身を責めた。せめて、あの時、自分が探しにゆけば、父は死ぬことはなかったかもしれない。医者の話によれば、父の生命を奪ったのは寒さではなく、頭部の怪我だというのだから、たとえ、美空が父を見つけていたとしても遅かれ早かれ、父は亡くなっていたはずだ。
 が、美空は、そのように理詰めで考えることはできなかった。父をむざと死なせてしまったことは、今でも美空の心に大きな傷痕を残している。
 父が再びの人生を共にとまで想いを寄せていたおれんは父の死から四年経った今もなお、独り身を通している。美空は、父の葬儀の日、物陰でひっそりと涙を流していたおれんの姿が忘れられない。あの時、ああ、確かにおとっつぁんとこの女(ひと)は惚れ合っていたのだなと、子ども心に感じたものだった。
 これから幸せを摑もうというときになって生命を落とした父は不幸には違いなかったが、それでもまだしも、心から愛せる女人にめぐり逢えたことは父の短い人生の最後に輝きを添えただろう。そう思うことで、父を喪った哀しみを幾ばくかでも慰めた。
 美空は仕立物の内職を生業(なりわい)としている。母お志津も腕の良いお針だったというから、こちらは母譲りなのかもしれない。幸いにも父の飲み友達の中に呉服太物問屋の主人がいて、その男が美空に定期的に仕事を回してくれるので、随分と助かっている。
 皮肉なことに、その〝浪速屋〟の主人誠志郎と父を死に追いやった若旦那の父〝美濃屋〟喜平は従兄弟同士であり、誠志郎と若旦那の藤次郎も知らない仲ではない。残念ながら、父が事件に巻き込まれた夜、誠志郎は縄暖簾には顔を見せていなかった。
 もし誠志郎があの場に居合わせれば、間違いなく二人を止めに入っていただろう。一介の職人と江戸でも指折りの大店の旦那でありながら、二人の間には周囲からも窺い知れぬ友情が介在していたようであった。
 愕いたことに、誠志郎は美空に求婚さえしたことがある。あれはもうかれこれ一年前になるだろうか、突如として夕刻、誠志郎が徳平店を訪ねてきた。
 小さな位牌となり果てた父に向かって短い黙祷を捧げた後、誠志郎の口から出た科白は実に意表を突くものだった。
―突然、こんなことを言って、愕かせちまうのは判ってはいるが、これでも真剣なんだよ。

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