
激愛~たとえ実らない恋だとしても~
第5章 第二話〝烏瓜(からすうり)〟・其の壱
美空は咄嗟に後ろへ身を退こうとする。が、背後に控える智島が美空の袖を軽く引いた。
「ご簾中さまは、お殿さまのご正室におわします。いかに宥松院さま付きとは申せ、唐橋さまは一使用人にすぎませぬ。何もご簾中さまがわざわざお譲りになる必要はござりませぬ」
耳許で囁かれ、美空は思いとどまった。
その点は流石に老女と言おうか、唐橋は美空の一歩手前で立ち止まった。美空の存在に気付いておらぬはずはないのに、あたかも初めて気付いたように大仰に愕いて見せる。
「これはご簾中さまにおわされましたか。このような場所においでになられるとは知らず、ご無礼仕りましてございます」
態度だけは殊更慇懃なのはいつものこと、唐橋は即座に膝をつき、これ見よがしに頭深々と垂れた。
「それにしても、ご簾中さまともあろうお立場のお方が供もお連れにならず、お一人とは、あまりにも不用心にございます」
唐橋がわざとらしく言う。全く物言いだけは嫌みなほど丁寧だ。
美空の背後に控える智島がすかさず言った。
「唐橋さま、ご簾中さまにはこの智島が常にお側を離れずお付きしておりますれば、ご心配には及びませぬ」
美空同様、共にいる智島が眼に入っていないはずはないのである。唐橋は敢えて美空主従を無視しようとするつもりのようだ。
「さようにございましたか、それはご無礼を致しました。さりながら、共が智島どのお一人だけではのう」
いかにも心許ないと言いたげな唐橋の後ろから、誰かが言った。
「唐橋さま、智島さまは何しろ〝千人力〟のお方でございますもの。智島さまお一人に私たちが束になったとしても敵いませんわ」
その言葉に、智島の頬にさっと朱が散った。
智島が千人力―というのには、いわくがある。智島の前夫は離縁語後一年して、母方の遠縁に当たる娘を妻に迎えた。その結婚もまた母親の強い意向があったらしい。その妻は智島とは打って変わった従順な大人しい娘で、姑も前夫も大いに気に入ったらしい。
その折、前の良人であった男が、こう言ったというのだ。
「ご簾中さまは、お殿さまのご正室におわします。いかに宥松院さま付きとは申せ、唐橋さまは一使用人にすぎませぬ。何もご簾中さまがわざわざお譲りになる必要はござりませぬ」
耳許で囁かれ、美空は思いとどまった。
その点は流石に老女と言おうか、唐橋は美空の一歩手前で立ち止まった。美空の存在に気付いておらぬはずはないのに、あたかも初めて気付いたように大仰に愕いて見せる。
「これはご簾中さまにおわされましたか。このような場所においでになられるとは知らず、ご無礼仕りましてございます」
態度だけは殊更慇懃なのはいつものこと、唐橋は即座に膝をつき、これ見よがしに頭深々と垂れた。
「それにしても、ご簾中さまともあろうお立場のお方が供もお連れにならず、お一人とは、あまりにも不用心にございます」
唐橋がわざとらしく言う。全く物言いだけは嫌みなほど丁寧だ。
美空の背後に控える智島がすかさず言った。
「唐橋さま、ご簾中さまにはこの智島が常にお側を離れずお付きしておりますれば、ご心配には及びませぬ」
美空同様、共にいる智島が眼に入っていないはずはないのである。唐橋は敢えて美空主従を無視しようとするつもりのようだ。
「さようにございましたか、それはご無礼を致しました。さりながら、共が智島どのお一人だけではのう」
いかにも心許ないと言いたげな唐橋の後ろから、誰かが言った。
「唐橋さま、智島さまは何しろ〝千人力〟のお方でございますもの。智島さまお一人に私たちが束になったとしても敵いませんわ」
その言葉に、智島の頬にさっと朱が散った。
智島が千人力―というのには、いわくがある。智島の前夫は離縁語後一年して、母方の遠縁に当たる娘を妻に迎えた。その結婚もまた母親の強い意向があったらしい。その妻は智島とは打って変わった従順な大人しい娘で、姑も前夫も大いに気に入ったらしい。
その折、前の良人であった男が、こう言ったというのだ。
