
激愛~たとえ実らない恋だとしても~
第1章 第一話 春に降る雪 其の壱
誠志郎は父より三つ年下で三十になるはずであった。十五の美空よりはひと回り以上も歳が離れているし、第一、美空は誠志郎のことを殆ど知らない。
若い時分に女房をお産で亡くし、我が子までをも立て続けに失った気の毒な身の上なのだとは父から聞かされて知ってはいたが、あくまでも、〝父の知り合いのおじさん〟でしかなかった。一、二度長屋に訪ねてきた誠志郎と顔を合わせて、その顔を知っているという程度の面識にすぎない。
誠志郎によれば、その際の美空の印象が忘れられず、弥助の娘のことがずっと心から離れなかったという。もし、その気になりさえすれば、是非嫁に来て欲しいと真顔で申し込まれ、美空は当惑した。
誠志郎はその後、一、二度、やはり思いついたように美空を訪ねてきたが、長居はすることなく、四半刻ほど表で立ち話をしただけですぐに帰ってゆく。そんな潔さからも誠志郎の誠実な人柄が偲ばれたものの、結局、美空はこの縁談(はなし)を丁重に辞退した。
誠志郎は良い人だとは思うけれど、どう考えてみたところで、父の良き友人―もしくは、親戚の叔父さんに対するような気持ちは抱けても、異性、ましてや生涯を共にする伴侶としては見られそうにもなかったからだ。
誠志郎はそのことで特に気を悪くした風もなく、美空の言葉に幾ばくかの落胆を面に滲ませつつも、あっさりと引き下がった。仮に誠志郎のような男と所帯を持てば、一生を安気に過ごし、良人や子に囲まれたごく普通の女の幸せを得ることが叶うのかもしれない。
しかも相手は、江戸でも知る人ぞ知る大店の主人である。裏店住まいの娘が誠志郎の妻になれば、人は玉の輿と称して羨むだろう。だが、それは美空の望むものとは少し違っているような気がする。
何か―はきとは表現できないけれど、何かが違う。自分の求める幸せは、きっと他にあるはずだということだけは判った。美空の両親がかつてそうであったように、もしくは、父が再婚しようとしていたおれんと父のように、心から愛され、また、我が身も愛することのできる相手、そんな男とこそ生涯を共にする覚悟もできるのではないか。
それとも、心から愛し愛される相手と結ばれたいなぞと考えるのは所詮は世を知らぬ小娘のたわ言なのだろうか。
若い時分に女房をお産で亡くし、我が子までをも立て続けに失った気の毒な身の上なのだとは父から聞かされて知ってはいたが、あくまでも、〝父の知り合いのおじさん〟でしかなかった。一、二度長屋に訪ねてきた誠志郎と顔を合わせて、その顔を知っているという程度の面識にすぎない。
誠志郎によれば、その際の美空の印象が忘れられず、弥助の娘のことがずっと心から離れなかったという。もし、その気になりさえすれば、是非嫁に来て欲しいと真顔で申し込まれ、美空は当惑した。
誠志郎はその後、一、二度、やはり思いついたように美空を訪ねてきたが、長居はすることなく、四半刻ほど表で立ち話をしただけですぐに帰ってゆく。そんな潔さからも誠志郎の誠実な人柄が偲ばれたものの、結局、美空はこの縁談(はなし)を丁重に辞退した。
誠志郎は良い人だとは思うけれど、どう考えてみたところで、父の良き友人―もしくは、親戚の叔父さんに対するような気持ちは抱けても、異性、ましてや生涯を共にする伴侶としては見られそうにもなかったからだ。
誠志郎はそのことで特に気を悪くした風もなく、美空の言葉に幾ばくかの落胆を面に滲ませつつも、あっさりと引き下がった。仮に誠志郎のような男と所帯を持てば、一生を安気に過ごし、良人や子に囲まれたごく普通の女の幸せを得ることが叶うのかもしれない。
しかも相手は、江戸でも知る人ぞ知る大店の主人である。裏店住まいの娘が誠志郎の妻になれば、人は玉の輿と称して羨むだろう。だが、それは美空の望むものとは少し違っているような気がする。
何か―はきとは表現できないけれど、何かが違う。自分の求める幸せは、きっと他にあるはずだということだけは判った。美空の両親がかつてそうであったように、もしくは、父が再婚しようとしていたおれんと父のように、心から愛され、また、我が身も愛することのできる相手、そんな男とこそ生涯を共にする覚悟もできるのではないか。
それとも、心から愛し愛される相手と結ばれたいなぞと考えるのは所詮は世を知らぬ小娘のたわ言なのだろうか。
