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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第5章 第二話〝烏瓜(からすうり)〟・其の壱

 重臣たちにしてみれば、美空に徳千代に続く男児を一日も早く上げて欲しいと願っている。医療もまだ未発達であった当時、乳幼児の死亡率はけして低くはない。ましてや、蒲柳の質は、大名の公子にはありがちのこと、家督を継ぐべき若君が徳千代一人では心許ないというのが大方の意見であった。
 そんなところもにも美空は庶民と大名家のしきたりの違いを感じずにはおれなかった。まだ生まれて三月の赤児を母親から引き離し、乳母の手に―大名家ではごく当たり前のしきたりが、美空にはとても理不尽のなことのように思えたものだった。
 子どもというものは幼い時期に親がどれだけ手をかけて育てたかで、その愛情を知るものだ。そして、自らも他人を慈しむということを自ずと憶えてゆくものである。そういう意味でも、生後三ヶ月の徳千代を手放すことには大いに抵抗があったものの、尾張家に古くから仕える重臣たちの意見は無下はできない。美空が徳千代を手放したくないと言えば、孝俊は聞き入れてはくれただろう。しかし、そうなれば、また、
―殿はご簾中さまにはお弱い。
 と、孝俊が悪く言われる。美空自身が我が儘な女だ、色香で殿を誑かす妖婦だと悪し様に罵られるだけでは済まない。それだけは、絶対に避けねばならなかった。自分はどれだけ悪く言われても良いけれど、折角名君との呼び声も高まっている孝俊の評判を落としてはならない。重臣たちと孝俊との間に無用の対立の因を作ってはならない。美空は一途に思い定めていた。
 たとえ夜だけとはいえ、徳千代と引き離された当時、美空は沈んでいることが多かった。閨の中で顔を合わせる孝俊も美空の気持ちに気付いたのだろう。
 抱き寄せられ、そっと耳許でただひと言、
〝済まぬ〟と囁かれた時、美空は、たまらず泣いてしまった。それまでこらえにこらえていたものが堰を切ったように溢れ出し、孝俊の胸に顔を埋めて烈しく泣きじゃくった。
―俺に付いてきたばかりに、そなたには無用の苦労をさせるな。
 孝俊は美空の背を撫でながら、そう言った。
 孝俊は優しい。それは小間物屋の孝太郎であった頃と何ら変わってはいない。その時、美空は確信した。

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