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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第6章 第二話・其の弐

 あまりにも酷い話だった。徳千代が孝俊の子ではなく、父親の知れぬ子であるなどと、勘ぐりもはなはだしい。それに、あの女たちの話では、孝俊が気紛れに美空に手を付けたのだということになっている。上屋敷に入る際には既に懐妊していたことも身持ちの悪い女の証だと―。
 美空にとてみれば、はなはだ迷惑千万な誤解、曲解も良いところだ。美空と孝俊はちゃんと祝言も挙げたはずだ。徳平店の狭い四畳半で仲人を頼んだ差配がどこからか持参した金屏風を背に、ささやかな祝言を挙げて夫婦となったのだ。美空が徳千代を身ごもったと判ったのはそれから三月後のことなのに、何ゆえ、徳千代が孝俊の子とではないなぞとい言われねばならない―?
 しかし、女たちの誤解はある意味、無理からぬ部分もあった。あの女たちが知るのは尾張藩主としての徳川孝俊であって、けして小間物売りの孝太郎ではない。この上屋敷の者たちにとって、孝太郎は端からこの世に存在しないはずの人間なのだから。だが、美空には、孝太郎は生身の人間、惚れた男だった。美空は孝太郎に恋をし、孝太郎と共に生きてゆく覚悟を決めたのだ。
 孝太郎が孝俊になったからとて、美空の心は変わらない。が、孝太郎としての孝俊を知らぬ者たちは当然ながら、美空と孝太郎の出逢いから結ばれるまで、夫婦として暮らしていたことを何も知らない。家老の碓井辺り、重臣たちは孝俊が町人として市井で暮らしていた頃も当然、知ってはいようが、大部分の者は、孝俊のそのような意外な過去を知らない。孝俊が市井でただ人の孝太郎として生きている間、尾張家では、表向きは孝俊は寺に入っている―ということになっていた。
 とはいえ、別に出家して僧侶となるわけではなく、次代の藩政を担うべき嫡子が更に学問と修練を積むために、さる寺で修行していたのだと苦しい言い訳で世間体を取り繕っていたのだ。尾張藩の者は誰もがそのことを信じていた。そんな彼等には、美空とのことは、孝俊が息抜きに江戸の町に出て、たまたま眼に付いた娘に手を付けたとしか見えないのだろう。

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