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喪失、そして再生~どこか遠くへ~My Godness完結編

第1章 ♣ここではないどこかへ♣

 実里の面影から逃れるために故郷を飛び出してきたら、今度は早妃の顔が眼の前にちらついて消えない。
 俺もつくづく女々しい男だな。
 悠理の整った面に苦笑いが浮かぶ。
 老人は相変わらず黙々と網をひろげる作業に集中している。まるで宝物を扱うような慎重な手つきだが、それも当然だ。漁師にとって網は大切な商売道具の一つなのだ。
 この年老いた男が漁師であることはすぐに知れた。既に六十は超えているであろうと思えたものの、陽に灼けた横顔は精悍で、身体も全体的に引き締まっている。ジムなどで贅沢に鍛えた人工的肉体ではなく、日々の営みや仕事の中で自然に作り上げらられていった逞しさがあった。
 どれくらいの間、そうやっていただろうか。時間にしてはたいして長くはなかったはずだが、気がつけば、老人が振り返って彼を見つめていた。
「そんなに珍しいか?」
 長年、潮や風雪に晒されてきた面には、くっきりと皺が刻み込まれている。赤銅色に灼けた貌は存外に整っており、細い瞳は物事の真実を暴き立てるかのように鋭かった。
 そのまま老人と対峙していると、弱い自分の心を見透かされそうな恐怖に陥りそうだ。
「い、いえ」
 悠理は柄にもなく紅くなり、首を振った。
「仕事中、お邪魔をして申し訳ありせんでした」
 早口で言うだけ言って去ろうとすると、背後から嗄れた声が追いかけてくる。
「待ちなさい」
 えっと、振り向く。
 老人の細い眼が更に細められていた。だが、その瞳は怖いというよりは、彼自身が何かを訝しがっているようにも見える。
「ここで働いてみるか?」
 最初、悠理は老人から発せられた言葉の意味を理解できず、惚けたように相手を見返していた。
「俺が? ここで働く―」
 かつてホストをしていた頃、悠理の謎めいた微笑は女性たちを虜にし、〝キラー・スマイル〟と呼ばれた。今でも突然に店を辞めて姿を消したナンバーワンホストの彼は、伝説のホストとして噂の的になっているらしい。

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