天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~
第4章 第二話〝茜空〟・友達
友達
夕時を迎えて、涼しくなるどころか、昼間の暑熱が残ったままの大気はどんよりとして、不快なことといったら、この上なかった。今もじっと立っていただけで、厭な汗が首筋から背中をじっとりと伝うのを、八重はどこかで他人事のように感じていた。
つまりは、それほど暑さに閉口して、頭がボウとしていたのだ。和泉橋町の屋敷を出てから、はや半刻余り。何とか清冶郞が思いとどまってくれることを念じつつ、随明寺に詣でた後も少しその周辺を歩き回ったのたせけが、この若君はいっかな帰る気にはなってくれず、仕方なく、こうしてお智の家まで来たのだった。
八重は木檜藩三万石の大名木檜嘉亨の屋敷に奉公している。上屋敷に上がって、漸く四月を迎えたばかりの新参者だ。八重は江戸でも名の知れた大店〝紙絃〟の一人娘であったが、父が多額の借金を遺したまま急逝するという不幸に見舞われた。そのままゆけば、吉原遊廓に身を沈めねばならなかった八重の窮地を救ってくれたのが、伯父の弐兵衛であった。
元々、父絃七と兄弐兵衛の仲は芳しくはなかったのだが、弐兵衛は世間的な体裁を慮って八重を養女として引き取ったらしい。しかし、養女というのは、あくまでも表向きにすぎず、内実は女中と変わらぬ扱いを受けた。
当時、八重は十四だった。それから二年、十六になった八重は伯父の勧めで、木檜藩の上屋敷に腰元として奉公することが決まった。八重の役目は藩主嘉亨の嫡子清冶郞のお守り役である。病弱で我が儘な若君さまの遊び相手など到底我が身に務まるものではない―と、最初は尻込みしていた八重であったが、次第に清冶郞との間のわだかまりも解け、距離も近付いていった。
夕時を迎えて、涼しくなるどころか、昼間の暑熱が残ったままの大気はどんよりとして、不快なことといったら、この上なかった。今もじっと立っていただけで、厭な汗が首筋から背中をじっとりと伝うのを、八重はどこかで他人事のように感じていた。
つまりは、それほど暑さに閉口して、頭がボウとしていたのだ。和泉橋町の屋敷を出てから、はや半刻余り。何とか清冶郞が思いとどまってくれることを念じつつ、随明寺に詣でた後も少しその周辺を歩き回ったのたせけが、この若君はいっかな帰る気にはなってくれず、仕方なく、こうしてお智の家まで来たのだった。
八重は木檜藩三万石の大名木檜嘉亨の屋敷に奉公している。上屋敷に上がって、漸く四月を迎えたばかりの新参者だ。八重は江戸でも名の知れた大店〝紙絃〟の一人娘であったが、父が多額の借金を遺したまま急逝するという不幸に見舞われた。そのままゆけば、吉原遊廓に身を沈めねばならなかった八重の窮地を救ってくれたのが、伯父の弐兵衛であった。
元々、父絃七と兄弐兵衛の仲は芳しくはなかったのだが、弐兵衛は世間的な体裁を慮って八重を養女として引き取ったらしい。しかし、養女というのは、あくまでも表向きにすぎず、内実は女中と変わらぬ扱いを受けた。
当時、八重は十四だった。それから二年、十六になった八重は伯父の勧めで、木檜藩の上屋敷に腰元として奉公することが決まった。八重の役目は藩主嘉亨の嫡子清冶郞のお守り役である。病弱で我が儘な若君さまの遊び相手など到底我が身に務まるものではない―と、最初は尻込みしていた八重であったが、次第に清冶郞との間のわだかまりも解け、距離も近付いていった。