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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第4章 第二話〝茜空〟・友達

 今では清冶郞は八重の存在なしでは一日も済まないといったほど、八重に懐いている。
 そして、八重には秘めたる想いがあった。あろうことか、清冶郞の父―つまりお殿さまに恋してしまったのだ。だが、この想いが報われるはずはないことを、八重もよく心得ている。幾ら何でも、三万石の大名とただの腰元では身分が違いすぎる。
 八重は嘉亨への恋心を自覚してからというもの、ひたすら己れの思慕を押さえ込むことに努めた。この想いは、けして誰にも知られてはならない。殊に、成長した暁には八重を妻に迎えたいと真顔で語る若君清冶郞にだけは悟られてはならない。
 八重だとて、この初恋があまりにも儚いものであることは自覚している。町人同士でありばともかく、嘉亨はたとう小藩とはいえ、れきとした大名、八重は天涯孤独の頼るべき親とておらぬ町人の娘。端から恋と呼ぶにもおこがましい。
 しかし、耐えようとすればするほど、かえって想いは深まった。表での政務が忙しい嘉亨ではあるが、数日に一度は必ず息子である清冶郞の顔を見にくる。その度に嘉亨の顔を見なければならず、正直、それはかなり辛かった。想いをひた隠し、何でもないような表情でふるまわねばならぬのは拷問にも等しい。
 嘉亨もまた、八重に対しては何もなかったようなごく自然な態度でふるまっている。清冶郞の病気快癒を祈るため、庭の一隅にある祠に詣でた雨の日、八重は嘉亨に誘われ、庭内の茶室で雨宿りをした。その際、嘉亨が耳許で囁いた科白が八重の耳にいまも残っている。
―私が清冶郞からそなたを奪うと申したら、そなたはいかがする?
 嘉亨が横暴な主君であったなら、八重はあの場で手にされていたかもしれない。

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