
月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】
第5章 永遠の別離
「どっちに行ったか憶えてはおらぬか?」
「ええ、ええ、そりゃあもう、よく憶えていますよ。いかにもいわくありげな一行でしたからねえ。こんな町外れの酒場に両班の―しかもうら若い娘が来るなんて、再々あるどころか滅多にありませんよ。確か西の方に向けて行きましたけど」
「ありがたい、礼を言うぞ」
「その中(うち)、また、ご贔屓にお願いしますよ、旦那」
女将の甲高い声に見送られ、役人の走り去る気配が聞こえた。突然の役人の登場で静まり返っていた酒場が再び喧騒を取り戻す。
しばらくしてから、漸く光王の唇が離れた。
「もう良いだろう」
光王はまるで何事もなかったような平然とした様子だ。
香花はトクトクと心ノ臓が煩くなっているのを光王に聞かれはせぬかと気が気ではない。
先刻、彼に唇を奪われたときは随分と愕いたものの、今はそれが役人の眼を眩ますためのものだと理解できた。
「光王、この酒場の女将さんは―」
物問いたげな香花の視線に、光王が肩をすくめた。
「ま、ちょっとした知り合いだ」
何か割り切れないものを感じていると、独特の金属質な声が響く。
「旦那、何とか上手く難を逃れたようで、良かったね」
見れば、女将が盆を抱えて立っている。
歳は三十代半ばくらいで、光王よりは十は上だろうが、なかなか色っぽい中年増だ。いわゆる世間でいう美人というのではないが、細くつり上がった一重の眼はすっと切れ上がり、独特の色香を含んでいる。眼尻の下の小さな黒子がまた余計に女将を色っぽさく見せている。
「ええ、ええ、そりゃあもう、よく憶えていますよ。いかにもいわくありげな一行でしたからねえ。こんな町外れの酒場に両班の―しかもうら若い娘が来るなんて、再々あるどころか滅多にありませんよ。確か西の方に向けて行きましたけど」
「ありがたい、礼を言うぞ」
「その中(うち)、また、ご贔屓にお願いしますよ、旦那」
女将の甲高い声に見送られ、役人の走り去る気配が聞こえた。突然の役人の登場で静まり返っていた酒場が再び喧騒を取り戻す。
しばらくしてから、漸く光王の唇が離れた。
「もう良いだろう」
光王はまるで何事もなかったような平然とした様子だ。
香花はトクトクと心ノ臓が煩くなっているのを光王に聞かれはせぬかと気が気ではない。
先刻、彼に唇を奪われたときは随分と愕いたものの、今はそれが役人の眼を眩ますためのものだと理解できた。
「光王、この酒場の女将さんは―」
物問いたげな香花の視線に、光王が肩をすくめた。
「ま、ちょっとした知り合いだ」
何か割り切れないものを感じていると、独特の金属質な声が響く。
「旦那、何とか上手く難を逃れたようで、良かったね」
見れば、女将が盆を抱えて立っている。
歳は三十代半ばくらいで、光王よりは十は上だろうが、なかなか色っぽい中年増だ。いわゆる世間でいう美人というのではないが、細くつり上がった一重の眼はすっと切れ上がり、独特の色香を含んでいる。眼尻の下の小さな黒子がまた余計に女将を色っぽさく見せている。
