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20年 あなたと歩いた時間

第9章 32歳

「お母さん!早く早く!」
「ち、ちょっと待って。えーと、大家さんに鍵は返したし、ガスも電気も止めたし…」
「のぞみー、もう出られる?」

要と広輝が、何もなくなったアパートの
部屋の玄関から私を呼ぶ。

「トラック、もうそろそろ出るってさ」
「うん!わかった」

広輝が生まれてから十二年間住んだ
アパートから、今日引っ越す。
行き先は私達が生まれ育った街。
やっとあの街に帰る決心がついた。
きっかけは、広輝だ。

「ぼく、お父さんとお母さんが育った場所に住みたい」

ある日突然そんなことを言った。
そこから私の行動力には自分でも驚いた。
地元で看護師の募集がある病院を
片っ端から面接してもらい、
成績のいい広輝には中高一貫の学校を
受験させ、とりあえずは実家に
住まわせてもらうことにした。
父は久しぶりに娘と暮らすことを
快く受け入れてくれた。
大学に通うためにこの家を出た日も、
広輝を生むと決めた日も、
そしてまたこの街に戻ると言った時も、
私がする決断の全てに何も言わず
応援してくれた父。

「のぞみ、仕事はいつから?」
「四月一日からだよ。少し休める」
「そうか。会って欲しい人がいるんだ」
「まさか、要の彼女とか?」

要は三十二歳になる今も独身のままだ。
理由は聞くまでもない。

「ばーか。いねえよ、そんなの」
「なんだ」

それでも、少し安心するのはなぜだろう。
要には幸せになって欲しいと思うのに、
真緒以外の他の誰かといる要は
想像し難い。
 

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