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叶わなかった物語

第6章 6

「小野塚先生!赤ちゃん!」
「はい」

ベテラン看護師の甲斐さんが珍しく慌てて僕を
呼んだ。赤ちゃん、って情報そんだけかよ!

「おい!矢野先生、行こう」

医局でラーメンをすすっていた矢野を引っ張って、階段を駆け降りた。

「スタートダッシュ、練習したか?」
「しましたよ!大学で、スタブロ借りて!」
「おまえ、本気にしたのかよ」
「ちょ、ひど!」

救急外来入口にちょうど救急車が到着した。隊員から必要な情報を走りながらもらう。

「妊娠29週、前期破水で自宅出産です。自発呼吸なし、心拍は良好、アプガースコア2/2、体重は1000g前後」

搬送された赤ちゃんは赤黒く、保温のため
ラップ材を巻かれていた。

「矢野!サーファクテン、インドメタシン、
気管挿管」
「はい!」

この新生児を皮切りに、当直の日に限って、なぜか日付が変わるまで救急患者が途切れ
なかった。

「先輩。…ひどいっすね」
「何が?」
「何で、助からない命があるんですか」

矢野は心底疲れた顔をして、つぶやいた。

「助からなかった命は…またどこかで生まれ変わるんだ」
「…本気で言ってんすか」
「…本気じゃなきゃ、やってらんねーよ」
「先輩でも、へこむことありますか?」

交通事故で搬送された小学生が、火事で全身
熱傷の学生が、それぞれ助からなかった。
矢野がERに来て初めて亡くなった患者だ。それくらい、この病院の救命率は高い。

「小野塚先生」
「あ。新藤先生」
「今朝運ばれた赤ちゃん、大丈夫ですよ。ご両親がお礼を、って」
「あ…!はい」

救った命もある。そんな瞬間があるから明日も
頑張ろうと思う。

「どうぞ」

新藤先生に促されて医局に入ってきたのは、あの桐野だった。

「小野塚…だったのか」
「ああ、桐野。良かったな。赤ちゃん」
「…ありがとうな」
「いや。奥さんは?大丈夫か」
「うん。…あんな、だよ」
「野嶋か…そっか」

陸上部の仲間だった桐野。そして後輩の、
野嶋あんな。二人の子どもを助けた。

「名前…『星香』にした。最初に命を救ってくれた人から一文字もらった、っていつか教えるよ」
「はは、やめろよ」

こうして、誰かとまた繋がっていく。一度は
離した手も、いつかまた繋がれてゆく。
生きていれば、こんなこともあるんだ。


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