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大日本色々歴史

第1章 徳川家康

やはりトップはたぬきおやじの名前の元ネタにもなったこのお方です。

幼い頃から人質になったりして苦労の多い人生だったが、300年近くも続く太平の世を作り出してみせた功績はさすが。

泣かぬなら殺してしまえ、泣かせてみせよう、泣くまで待とうとほととぎすの詩では短気な信長、野心家の秀吉、忍耐の家康と表現されているが、実は家康様はかなりの短気で気性は激しい。

でもいろいろと我慢をして慎重にすべきところは慎重にしたので、その点は忍耐だろうか。
虎や獅子が狸の皮を被ったようなものだ。
なんか、ボクに似ているなぁ。

ボクに似ているといえば、やはり若い頃は歳上好みで歳とともにロリコンになったことだろう。

側室は大勢いて、いっぱい励んで子供はいっぱい作った。
晩年は75歳にして12歳の側室といちゃいちゃ。

羨ましい~、戦国武将に生まれたかった~

狸の皮を被った家康様は行動も慎重なのだが、よっぽどこの12歳の側室が可愛かったらしく、精をつけようとして(笑)鰒の天婦羅なんか食べるから、その毒に当たったのが元で亡くなってしまった。

正室の築山殿は超悪女にして不仲。
信長様の命令が下されたのをこれ幸いとばかりに成敗してしまった。

子供の信康は可愛かったようで、二俣という山奥に追いやって信長様の目を誤魔化そうとしたが、これを潔しとしない信康は自らの潔白を示すために切腹してしまう。

信康は家康様の血を受けた名君であり、二俣の地には信康公が手厚く祭られている。

妻が悪女で不仲ってのもボクみたいだ。

信長様がなぜ築山殿と信康の成敗を命じたかは定かではないが、築山殿は敵対勢力の血筋の者であり、優秀な信康と手を組んで反旗を翻されたら厄介だと思っていたのだろう。

それか、家康様に頼まれて築山殿の成敗を命じて、これ幸いとばかりに将来的に火種となりかねない優秀な信康も成敗するように命じたとか・・

生涯一の負け戦は武田信玄にボロ負けした三方原の戦いであるが、これは別の章で詳しく書きます。

ボロ負けした惨めな自分の姿を描かせて、これを教訓に二度と無謀な戦いはしないと心に誓った。

こんな酷い目に合わされた武田はやはり憎いヤツであり、現在の舘山寺辺りにあった武田ゆかりの者たちの部落を丸ごと焼き払ったという酷いこともしている。これは黒歴史として触れてはならないことだった。

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