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小綺麗な部屋

第1章 雪崩


 誘拐、面倒、犯罪、刑務所、保釈金、損失、等々が脳を駆け巡ったのちに我に帰り目の前の少年を凝視する。
 決して冗談ではないと訴える瞳に冗談じゃないと込み上げてくる。
「あ、のね」
「お願いします」
 今から君を説得するという気配を感じたのか、先手を打ってくる。
 必死なものだ。
 周りの目を気にしつつ、駅の方にゆっくり足を出す。
 察しが早いのか神妙な顔つきでついてくる姿に久しぶりの感覚を思い出す。
 ああ、あれだ。
 集団登校の時の下級生。
 ずいぶん昔のことだが、こうした感覚が簡単に呼び起こすのだろう。
 人通りの多い構内で壁沿いに歩き、券売機の片隅で立ち止まる。
 何から言おうか、もしくは消えていたらいいのに考えつつ後ろを確認すると全く変わらぬ真面目な幼き瞳があった。
 つい息が漏れて、眉間を押さえる。
「私を知ってるのか」
「知らない」
 即答か。
 敬意をどの程度示せばよいか悩みつつ言葉を選ぶ。
「じゃあ何故声を掛けたんだ」
「……優しかったから」
 不安そうに声が小さくなる。
 なるほど、この少年にとっては賭けのような申し出。
 緊張しているのだろう。
 当たり前か。
 見ず知らずの年上に向かっているのだ。
「家出かい?」
 ギッと強まった視線に緩みそうだった顔を引き締める。
「祝日だから遊びに出てきたんだろう? 暇なのかもしれないが、おじさんについてきてもつまらないと思うよ」
 齢三十一だが、この子から見れば若いお兄さんではあるまい。
 少年は息を吐き出すかのように口を開いたが、ゆっくりと閉じて静かに話し出した。
「家出じゃ、ない。ただ……おれは一人で、いつも一人だから。学校は行ってるし、家はずっと遠くなんだけど、お小遣い全部使って一番遠いとこ行こうって。全部じゃないよ。でも、行くとこもなくて。足痛くて。お兄さん、優しかったから。ゴメンなさい。いきなり声を掛けてしまって」
 突然な謝罪に眉を上げたが、まとまらない言葉を聞くのはいつぶりか、擦れていた心を癒される。
 壁に手をついて腰を下ろし、同じ目線に立ってやる。
 これも敬意だ。
「謝らなくていいよ。私は夕方まで暇なんだ。よかったら何か食べに行くかい? それから最寄り駅まで送ってあげよう」

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