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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第10章 第三話・其の弐

     《其の弐》

 雪が、降ってくる。
 家の前に出てみると、寄り添い合うようにそびえ立つ二本の樹に雪が降り積もり、あたかもすべての枝が真っ白に染まっているように見える。
 すべてのものが眠ったような静けさに包まれる冬、樹はすべての葉を落とし、その細い枝が鈍色の天に向かって突き上げるように伸びている。その裸の枝を飾る白い雪はまるで魔法をかけるかのごとく、辺り一面の風景を白銀に染めている。
 鈍色の天(そら)から下りてくる白い花びらが風にくるくると舞い、水面をたゆたう花びらのようにあてどなく漂い流れる。まだ真昼間だというのに、灰色に塗り込められた空は暗く、早くも陽暮れ刻を思わせる。
 風に乗って、ふわふわと漂う雪の欠片(かけら)に混じり、時折、煌めくものがある。よくよく眼を凝らすと、それは細氷であった。氷晶、つまり、極めて小さい氷の粒が空中に浮かんでいる現象である。大陸内部や高山などの寒冷地で見られることが多い。
 初めて細氷を見た時、美空はそのあまりの美しさに眼を奪われた。まるで魂を奪われたかのように、長い間、その場に立ち尽くしていたものだ。すべての生きものが姿を消してしまった静謐な世界で、その存在を主張するかのようにキラキラと輝いていた細氷の見事さは、まるで自然という偉大な手(て)妻(づま)師が見せた手妻のようだった。
 いかほどの間、惚けたようにその場に佇んでいたことか。魅入られたかのように、空中で煌めく雪のかけらを眺めていた美空は、その時、己れの頬が濡れていることに気付いた。それで漸く我が身が泣いていたのだと知り、随分と愕いたのを今でも鮮明に記憶している。
 細氷は、それほどまでに美空に不思議な感銘をもたらした。二十年間生きてきて、様々な美しいものを見てきたが、魂を根底から揺さぶられるほどのものを眼にしたのは、そのときが初めてであった。
 むろん、こういった現象は、ここが厳寒期には、かなりの寒さに見舞われるからこそ起こるもので、いわば自然のなせる気紛れな魔法だということは知っている。ゆえに、泣くほど美しいこの光景が滅多と見られぬものであることも。

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