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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第11章 第三話〝花笑み~はなえみ~〟・其の参

     《其の参》

 静まり返った閨の中は、あたかも深い水底(みなそこ)のようだ。美空は唇を噛みしめて端座していた。
 突然、村に姿を見せた孝俊は美空を半ば脅迫する形で江戸に連れ戻した。この尾張藩上屋敷に戻ってきて六日後の夕刻、美空の許に今宵、殿のお渡りがあると老女唐橋を通して伝えられた。
 正直、孝俊と臥所を共にするのは気が進まない。だが、夜伽を拒むことは許されない。
 美空はもう四半刻余りもの間、こうして寝所で孝俊の訪れを待ち続けていた。
 ゆうに十畳はある寝所には錦の夜具が整然と二つ敷かれている。枕辺に座る美空は華奢な身体を無意識の中に小刻みに震わせていた。
 更にそれから待つこと四半刻、漸く襖が開く。純白の雪景色が一面に描かれた襖に、二羽の鶴が遊んでいる図柄だ。
 その雪景色は何故か、半年を過ごしたあの鄙びた村の記憶を呼び覚ます。たった半年しか過ごさなかったのに、どうして、あの村のことをこんなにも懐かしく思い出すのだろう。どうして、あの日々を愛おしく思うのか。
 あの村の記憶は嫌が上にも、一人の男の面影に繋がる。優しい春の陽溜まりのような笑顔を浮かべる男と過ごした一瞬、一瞬が泣きたいくらいに愛おしい。
 誠志郎の面影を心にいだきながら、孝俊に抱かれる―。あまりにも酷く、辛い現実であった。だが、今の美空にはなす術もない。
 両手をついて迎えた美空を、孝俊は無表情に真上から眺めた。
 孝俊の視線を感じても、美空は顔を上げることもできなかった。叶うことなら、この場から逃げ出したい。
 孝俊がの手が伸び、美空の顎をとらえた。そのまま力を込めて仰のけられ、美空は孝俊と見つめ合う形になった。昏い、昏い瞳は漆黒の闇を宿し、空洞のような空虚さを内に秘めている。

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