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白虹(龍虹記外伝)~その後の道継と嘉瑛~

第1章 夢

「今宵の月は見事だな」
 まるで蒼白いその翳までもが克明に見えるほど、円い月が限りなく近く見えて。
 こんな月を、自分はずっと以前見たことがある。その時、自分の隣には重吾郎ではない、別の誰かがいて、その男は通継にずっと傍にいて欲しいと懇願するように言った。
「殿、何をお考えにございますか?」
 重吾郎がやや固い声音で言う。
 月に見入っていた通継は薄く笑んだ。
「今宵は何故か昔のことばかり思い出される。そうだな、木檜の国で敵方の捕らわれ人となっていた頃のことだ。不思議なものだ、重吾。あの頃のことはもう二度と思い出したくもない厭な想い出ばかりのはずなのに、今になって、次々と甦ってくるのだよ」
「それは―」
 口ごもった重吾郎に、通継は笑った。
「私が弱気になっていると、そなたは、そう申したいのであろう?」
 あたかも他人事のように淡々と口にする主君を不安そうに見、重吾郎は控えめに言った。
「殿、お気の迷い、揺れは全軍の士気にも拘わりまする。何卒、お心を確かにお持ちあそばされませ」
「判っておる。私は総大将だ、皆を導き、戦わねばならぬ己れの使命を忘れ果てたわけではない」
 通継は微笑むと、まだ気遣わしげに自分を見る重吾郎に背を向けた。
「明日もまた、忙しい一日になろう。斥候(ものみ)の報(しら)せによれば、木檜嘉瑛は二日前に木檜城を発ったそうな。とならば、明日の昼過ぎ辺り、そろそろ国境に到着しよう。明日は長い一日になるぞ、重吾」
 通継は言外に、〝決戦は明日〟とほのめかしたのである。もとより、優れた武将でもある重吾郎はそのようなことは千万承知であることは判っていたが。
 長戸軍の陣営は、白鳥と木檜が国境を接するほど近くに位置している。ここから国境までは馬を使っても、ほんのひと走りだ。既に国境の砦に常駐していた兵は一人もおらず、全軍、ここで待機し、敵の襲来に備えていた。
 戦う場所としては狭苦しい山あいよりは、開けた見通しの良い場所の方が有利だ。重臣の中には、兵の数でははるかに引けを取る我が軍であれば、かえって山間に潜み、一挙に奇襲をかけた方がよろしいのでは、と、進言する者もいた。

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