白虹(龍虹記外伝)~その後の道継と嘉瑛~
第1章 夢
重吾郎は通継より八歳年長である。通継の傘下に入った時、既に二十八になっていたはずだが、彼はこのときのことを予測してか、妻を娶っていなかった。二親が既に亡くなっているのは知っていたが、姉の弥生は木檜家の重臣に嫁ぎ、城の奥向きで侍女頭をしていたはずだ。
万寿姫が亡くなり、その身代わりを務めさせられている間、弥生は偽の万寿姫の正体を知る数少ない者の一人として常に傍近く仕えていた。重吾郎の姉らしく思慮深い優しい女人だった。
あの弥生にまでよもや重吾郎出奔の科が及びはしまいか―と、通継が訊ねたところ、重吾郎は即座に応えた。
―姉は嫁ぎ、他家の人間となっております。しかも、姉の良人酒井忠勝は木檜氏の重臣中の重臣、よもやその忠勝どのの室である姉が罪を問われることはございますまい。
その瞬間(とき)から、恒吉(こうきち)と名乗っていた重吾郎は名を改め、伊富重吾郎克矩となった。〝白き龍のゆくところ、必ず伊富あり〟とまで謳われたように、以来、重吾郎はいつも通継と共にあった。
「そなたは寝(やす)んではいなかったのか?」
通継は逆に重吾郎を気遣った。
「いえ―」
言葉を濁す重吾郎に、通継は淡く微笑する。
「そなたはいつも自分を構わなさすぎる。今宵も私のことは良いゆえ、ゆるりと眠るようにと申し聞かせておいたはずだが?」
大方、寝所の外で宿直(とのい)をしていたに違いない。重吾郎自身も眠らなかったゆえ、通継の様子も敏感に察知したのだろう。
「あのうなされ様は尋常ではございませんでしたぞ」
なおも気遣わしげに見上げる忠実無比な従者からつと視線を逸らす。
「ちと喉が渇いてな」
しかし、その短い返答は次の重吾郎の言葉によって打ち消された。
「それでは、お応えになっておりませぬ。喉がお渇きなら、この重吾をお呼びになれば済むことにござります。とりあえず、直ちに水をお持ち致しましょう」
さっと踵を返す重吾郎を、通継は呼び止めた。
「待て」
呼び声に重吾郎はすぐさまその場に跪く。
「その必要はない」
通継は低い声で呟くと、もう一度空を仰いだ。
万寿姫が亡くなり、その身代わりを務めさせられている間、弥生は偽の万寿姫の正体を知る数少ない者の一人として常に傍近く仕えていた。重吾郎の姉らしく思慮深い優しい女人だった。
あの弥生にまでよもや重吾郎出奔の科が及びはしまいか―と、通継が訊ねたところ、重吾郎は即座に応えた。
―姉は嫁ぎ、他家の人間となっております。しかも、姉の良人酒井忠勝は木檜氏の重臣中の重臣、よもやその忠勝どのの室である姉が罪を問われることはございますまい。
その瞬間(とき)から、恒吉(こうきち)と名乗っていた重吾郎は名を改め、伊富重吾郎克矩となった。〝白き龍のゆくところ、必ず伊富あり〟とまで謳われたように、以来、重吾郎はいつも通継と共にあった。
「そなたは寝(やす)んではいなかったのか?」
通継は逆に重吾郎を気遣った。
「いえ―」
言葉を濁す重吾郎に、通継は淡く微笑する。
「そなたはいつも自分を構わなさすぎる。今宵も私のことは良いゆえ、ゆるりと眠るようにと申し聞かせておいたはずだが?」
大方、寝所の外で宿直(とのい)をしていたに違いない。重吾郎自身も眠らなかったゆえ、通継の様子も敏感に察知したのだろう。
「あのうなされ様は尋常ではございませんでしたぞ」
なおも気遣わしげに見上げる忠実無比な従者からつと視線を逸らす。
「ちと喉が渇いてな」
しかし、その短い返答は次の重吾郎の言葉によって打ち消された。
「それでは、お応えになっておりませぬ。喉がお渇きなら、この重吾をお呼びになれば済むことにござります。とりあえず、直ちに水をお持ち致しましょう」
さっと踵を返す重吾郎を、通継は呼び止めた。
「待て」
呼び声に重吾郎はすぐさまその場に跪く。
「その必要はない」
通継は低い声で呟くと、もう一度空を仰いだ。