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白虹(龍虹記外伝)~その後の道継と嘉瑛~

第1章 夢

 通継は片手を額にかざし、眼をわずかに眇める。強い風に煽られ、あれだけ濃く立ち込めていた霧が次第に晴れてゆく。いつしか紅く染まっていた視界はすっかり晴れ、前方にひろがるぬばたまの闇が通継の立つ場所からも見渡せた。
 その時、通継は、あっと叫び声を上げた。はるか前方にひっそりと佇む人影を認めたのだ。
 そうだ、通継はこの男をよく知っている。かつて千寿丸と呼ばれたはるか昔、まだ彼が十五歳の少年であった頃に幾度となく通継を抱いた男だ。敵の総大将の嫡男である通継を殺しもしない代わりに、背中に嘉瑛自身の名の灼印を捺したばかりか、通継を死んだ妹万寿姫の身代わりに仕立て上げ、婚礼を挙げるという茶番までやってのけた。
 もとより、通継自身は、嘉瑛がそんなことを言い出した時、よもや男が自分に妻としての本来の役割をも求めているとは想像だにしなかった。ただ名門長門氏の姫を正室に据えたいがゆえの策謀だとしか思っていなかったのだ。
 嘉瑛にとっては、最早長戸氏の姫を妻に云々―というよりは、あくまでもそれは建て前で、その心の底には通継への愛情が潜んでいたことなど知る由もなかった。いや、愛情―、あの男の通継への度を越えた関心や執着を愛情と呼べるというのかどうかは判らない。
 ただ、幾度となく膚を合わせてもけして嘉瑛を愛することのできなかった通継が別れの間際にほんの一瞬、あの男に何かを―憎しみと嫌悪以外の感情を抱いたのは事実だ。
 通継を故郷白鳥(しらとり)の国に戻すと宣言する少し前、暮れなずんでゆく夕焼け空を共に眺めながら、ふとあの男が零した言葉。
―この(木)国(檜)にも白海(しろかい)芋(う)の花は咲くが、俺はまだ白鳥の国に咲く白海芋を見たことはない。さぞ美しかろう。是非、一度見てみたいものよ。
 海芋とは、ラッパ状の形をしており、元々は渡来種である。白海芋、紅海(べにかい)芋(う)と呼ばれるふた色があり、里芋の仲間であることから海芋と呼ばれるようになったとか。ちなみに、海芋とは〝海を渡ってきた里芋〟の意味があるという。筒状の花は優美・清楚でありながらも、常に凛とした佇まいを見せる。
 間違いなく、あのひと言が通継の心に何かを落としたのだ。だが、通継は結局、その胸の想いが何であるかを知らぬまま、ほどなく嘉瑛と別れることになる。

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