テキストサイズ

白虹(龍虹記外伝)~その後の道継と嘉瑛~

第1章 夢

 恐らく、その言葉には一分の真実は含まれていただろう。百戦錬磨の戦(いくさ)神(がみ)とさえ畏怖された嘉瑛ならではの、自信に裏打ちされていたといえなくもない。
 しかし、そのすべてを真に受けても良いものかどうか。通継同様、滅多と己れの心を露わにすることのなかった男がたったの一度だけ、見せた心情の吐露―。
―俺は、そなたがかぐやの姫のように思えてならぬ。のう、お万、どこにもゆかぬと約束してくれ。けして俺を一人にして、黙っていなくなったりしないでくれぬか。
 哀願のようにも聞こえたあの言葉にこそ、嘉瑛の心の真実が隠されていたのではないかと、今ならば通継にも判る。
 あれは、そう、月の美しい夜だった。嘉瑛はいつになく上機嫌で盃を重ね、通継はそんな男を冷めたまなざしで見つめていたのだ。そんな通継に嘉瑛が発した科白だった。
 あの頃、通継は小袖に打掛を纏い、豊かな黒髪は背中に解き流し、どこから見ても完璧な女性であった。周囲からは〝お万の方さま〟と呼ばれ、誰もが既に亡くなった万寿姫だと思い込んでいたのだ。
 自らの性を偽り、たとえ妹とはいえ他人(ひと)になりすまして日々を生きていることへの鬱屈、更には夜毎、敵―しかも同じ男に閨で組み敷かれ責め立てられて、通継は耐えがたい屈辱と哀しみを必死で押さえ込んでいた。
 あの頃、自分が嘉瑛の気持ちに気付くことができなかったとしても、それは致し方のないことだろう。
 通継は息苦しさを憶えて、寝返りを打とうとして、ハッと目ざめた。
 最初、意識がはっきりと覚醒するまで、目ざめた場所が己れのよく知る白鳥城の寝所ではないことに違和感を感じたものの、すぐにここが陣中であったことに思い至った。
 通継は小さな吐息を洩らし、ゆるゆると身を起こす。薄い掛け衾(ぶすま)を外し、仮の床から出た。通継の仮の寝所の周囲には幔幕が張り巡らされている。扉代わりの布を持ち上げ、外に一歩出ると、存外に明るい景色がひろがっていた。
 どうも、今宵は妙な夢を見るようだ。あの夢のせいで、何故か昔のことばかりを思い出してしまう。戦場で感傷や過去に浸ることは危険であり、不吉だ。昔に囚われてばかりいては、前を見ることができなくなる。先を見通す眼が曇っては、戦では生命取りになる。咄嗟の判断の誤りが己れ一人の身ばかりか、率いる全軍の兵たちの生命をも危険に晒すことになるのだ。
 

ストーリーメニュー

TOPTOPへ