
夢のうた~花のように風のように生きて~
第5章 花塵(かじん)
常に用心棒らしい見張りが部屋の前にいて、逃げだそうにも逃げ出せない。どうやら、用心棒は、お千香を騙して駕籠に乗せたあの男のようだ。定市の雇ったならず者らしい。
食事はきちんと三度届けられたが、部屋の外に出ることは一切許されなかった。
今戸に来てひと月が経った頃、お千香の身体に変調が起きた。遅すぎる初潮を迎えたのだ。
定市はこのことを知り、たいそう歓んだ。お千香の身体が女として成熟したことの証だと考えたらしい。
だが、お千香は哀しい想いに沈んだ。その夜、定市が用意させた赤飯や鯛にも一切手をつけなかった。
辛いことばかりの中で、季節だけがめぐっていった。やがて秋が終わり、冬が来た。
この頃には、お千香はもう何かもかもが空しくなっていた。定市に抱かれるためだけに生き、存在しているような自分の人生は一体何なのだろう。
生きていても意味がないように思え、いっそのこと生命を絶とうかと何度も考えた。しかし、その度に、徳松やおみつの顔が瞼に浮かんだ。生きてさえいれば、いつか大切な人々に逢えるかもしれない。いや、これほど穢された身では最早、徳松の前に出ることはできないかもしれないが、この世に徳松がいると思うだけで、お千香の心は慰められた。
おみつは今頃、どうしているだろう。さぞ心配しているに違いない。考えるのは、おみつと徳松のことばかりだった。
その頃、美濃屋では先代の主政右衛門の女房おさとの法事が行われた。政右衛門の跡を継いで六代目となった定市は堂々とした大店の主人らしい態度で見事にすべてを取り仕切った。誰の眼にも定市が美濃屋の正真正銘の主となったことは明らかだった。
その席に政右衛門とおさとの一人娘お千香の姿はなかった。お千香は去年の春、かき消すように姿を消したままである。この頃に、美濃屋では芳しからぬ噂が立っていた。定市が今戸の寮に女を囲っているというのだ。
この噂は、定市が三日にあげず熱心に今戸の寮に通う姿を見た奉公人たちが誰からともなしに囁き始めたものだった。
―先代の旦那さまの忘れ形見、お千香お嬢さまの行方も知れぬというのに、早々と妾を囲うとは何ということだ。
先代政右衛門が子どもの頃から美濃屋に奉公する大番頭なぞは、そう言って嘆いた。
食事はきちんと三度届けられたが、部屋の外に出ることは一切許されなかった。
今戸に来てひと月が経った頃、お千香の身体に変調が起きた。遅すぎる初潮を迎えたのだ。
定市はこのことを知り、たいそう歓んだ。お千香の身体が女として成熟したことの証だと考えたらしい。
だが、お千香は哀しい想いに沈んだ。その夜、定市が用意させた赤飯や鯛にも一切手をつけなかった。
辛いことばかりの中で、季節だけがめぐっていった。やがて秋が終わり、冬が来た。
この頃には、お千香はもう何かもかもが空しくなっていた。定市に抱かれるためだけに生き、存在しているような自分の人生は一体何なのだろう。
生きていても意味がないように思え、いっそのこと生命を絶とうかと何度も考えた。しかし、その度に、徳松やおみつの顔が瞼に浮かんだ。生きてさえいれば、いつか大切な人々に逢えるかもしれない。いや、これほど穢された身では最早、徳松の前に出ることはできないかもしれないが、この世に徳松がいると思うだけで、お千香の心は慰められた。
おみつは今頃、どうしているだろう。さぞ心配しているに違いない。考えるのは、おみつと徳松のことばかりだった。
その頃、美濃屋では先代の主政右衛門の女房おさとの法事が行われた。政右衛門の跡を継いで六代目となった定市は堂々とした大店の主人らしい態度で見事にすべてを取り仕切った。誰の眼にも定市が美濃屋の正真正銘の主となったことは明らかだった。
その席に政右衛門とおさとの一人娘お千香の姿はなかった。お千香は去年の春、かき消すように姿を消したままである。この頃に、美濃屋では芳しからぬ噂が立っていた。定市が今戸の寮に女を囲っているというのだ。
この噂は、定市が三日にあげず熱心に今戸の寮に通う姿を見た奉公人たちが誰からともなしに囁き始めたものだった。
―先代の旦那さまの忘れ形見、お千香お嬢さまの行方も知れぬというのに、早々と妾を囲うとは何ということだ。
先代政右衛門が子どもの頃から美濃屋に奉公する大番頭なぞは、そう言って嘆いた。
