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夢のうた~花のように風のように生きて~

第5章 花塵(かじん)

 騙されたのだ。徳松は怪我などしていなかった。今頃は長屋に帰ってきて、お千香がいないのを心配しているだろう。
「何を考えている」
 覆い被さった定市が静かな声で言った。
 お千香は顔を背けた。こんな男と話したくもない。顔を見るのさえ厭わしかった。
 なんて卑劣な男。
「私の顔を見ろ」
 言われても、お千香は頑なに顔を背けたままだった。
「あの男のことを考えているのか」
 不気味なほど静かな声音であった。
「お前は誰にも渡さねえ。やっと手に入れた私のものだ。あの男のことは忘れろ」
 その時初めて、お千香は定市を見た。
「身体だけなら、いくらでも自由にすれば良い。でも、心までは絶対に渡さない。あなたの思い通りになんかさせないから」
 相変わらず定市を怖くて仕方なかったけれど、お千香はキッとしたまなざしを向けて言った。
「お前―」
 定市が愕いたようにお千香を見る。
 お千香はそれだけ言うと、プイとそっぽを向いた。
「忘れろ、私が忘れさせてやる。あんな男のことなんか忘れるんだ」
 定市が凄みのある声で囁く。お千香は固く眼を閉じ、定市のすべてを排除した。
「お前がそこまで意地を張るというのなら、私も遠慮はしねえ」
 刹那、両脚を押し広げられ、高く持ち上げられたかと思うと、鋭い痛みを下半身に感じた。
 半年前のあの夜の記憶がまざまざと蘇る。
 泣いて抗うお千香を欲しいままに犯した定市の残忍さを思い出す。
 お千香は歯を食いしばった。絶対に負けるものか。たとえ身体はどれだけ穢されようと、心はお千香だけのもの、この男の自由にはさせない、ならない。
 お千香は溢れようとする涙を瞼の裏で乾かした。涙を流せば、定市の思うつぼだろう。
 唇を噛みしめ、涙をこらえて、ただひたすら身体中を這い回る男の指のおぞましい感触に耐えた。
 それから陵辱の日々が続いた。
 定市は三日おきに今戸に通ってきて、お千香を抱いた。派手な緋色の長襦袢だけの姿で寝室に閉じ込められた。

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