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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第8章 予期せぬ災難

 私はここにいるから、この果てない暗闇野中に閉じ込められているから―。
 私はここでずっと、あなたが来るのを待っているのに、あなたは来てくれない。
 もう、待ちくたびれてしまった。


「お願い、迎えに―」
 呟きかけて、泉水は目覚めた。
「おい、大丈夫か?」
 声をかけられ、ピクリと身を震わせる。
 恐る恐る振り向くと、淡い闇の中に誠吉の不安げな顔が浮かんでいる。
「ごめんなさい、起こしてしまったんですね」
 泉水は小さな声で謝った。
 夜は当然ながら、二人は枕を並べて眠ることになる。とはいえ、誠吉は最初に言ったとおり、泉水には指一本触れようとはしなかった。
 泉水はふと思う。もし我が身に兄と呼べる人がいるならば、誠吉のような男なのではないかと。もしかしたら、闇の向こうから自分を呼ぶ人は、兄なのだろうか。だが、あの呼び声を耳にする度に胸の奥がきりきりと痛むのは、兄と呼ぶ人に対する感情とは少し違うような気がする。
 まるで魂を根底から揺さぶられるような、狂おしいほどの切なさと哀しみがひたひたと押し寄せてくる。一体、自分を呼び続ける人は誰なのか、自分にとって、どのような人なのだろう。
「―思い出せない」
 泉水は呟き、いやいやをするように首を振った。涙が溢れ、頬をつたい落ちる。
 あの人は、闇の向こうかにいつも自分を呼び続ける人は誰?
 それでも思い出そう、記憶を手繰り寄せようとしていると、いつものように烈しい痛みが起こった。細い紐で締め上げられているかのように、頭が軋む。泉水は両手で頭を抱えた。
「どうして、どうして、何も思い出せないの?」
 泉水は泣きながら呟いた。
「おさよ、おさよ」
 誠吉がいつしか泉水の傍に来ていた。
「もう止めろ。無理に思い出そうとするのは止めろよ。夜が来る度に、お前がそうやって苦しんでるのを見るのは、俺には耐えられねえ、見ちゃいられねえよ」

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