胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第8章 予期せぬ災難
宗竹が夕顔の花を持ってきたあの日から数日が経っている。あれから白い可憐な花は毎日咲いた。一つが終わっても、また次から次へと新しい花が開く。泉水は花が咲く夕刻になるのが愉しみで、日に幾度となく様子を見に表へ出ては誠吉に笑われた。
「本当にごめんなさい、毎日、煩くて眠れないでしょう。迷惑ばかりかけてしまって、私」
また泣けてくる。
何を思い出そうとしても、すぐに烈しい頭痛が起きてしまうのだ。医者の宗竹も誠吉も無理をする必要はないと言うけれど、泉水は一刻も早く失った記憶を取り戻したい。その想いは強まり、日々、焦りは募るばかりであった。
「俺は迷惑だなんて、ちっとも思ってやしねえよ。ただ、お前があんまり辛そうで、何もしてやれねえ自分がもどかしいんだ」
誠吉は立ち上がり、部屋の隅に行った。普段、仕事場にしている小机の引き出しを開けている。直に何かを手にして戻ってきた。
「もう無理に思い出そうとするのは止めろ。前は今のままのお前で良いじゃねえか。たとえ、昔、どこで何をしていた人間であろうと、どういう名前だったんであろうと、今、お前はここでこうやって暮らしてる、生きている。それだけで良いんじゃねえのか。生きてる限り、お前の前には無限の未来がひろがってるんだぜ。いつまでも思い出せねえ過去にこだわって苦しむより、これから先を見つめて生きていった方が良い」
「―」
泉水は無言であった。
確かに、誠吉の言うとおりかもしれない。いつまでも過去に囚われているよりは、これから先のことを考えるべきなのかもしれない。
それでも。
あの闇の彼方からずっと自分を呼び続けてくれている人のことが気になってならない。あの声を耳にする度に、心が引き裂かれるような哀しみを憶えるのだ。
誠吉の言うように前向きに生きていった方が良いのだと思う傍ら、あの切ない呼び声を無視することも忘れ去ることもできないと思う。
「これを受け取ってくれねえか」
ふと差し出されたのは、かんざしであった。
二つの夕顔の花を象った愛らしいかんざしは、やはり泉水が事故に遭った時、持っていたものと同様、黄楊でできている。
「本当にごめんなさい、毎日、煩くて眠れないでしょう。迷惑ばかりかけてしまって、私」
また泣けてくる。
何を思い出そうとしても、すぐに烈しい頭痛が起きてしまうのだ。医者の宗竹も誠吉も無理をする必要はないと言うけれど、泉水は一刻も早く失った記憶を取り戻したい。その想いは強まり、日々、焦りは募るばかりであった。
「俺は迷惑だなんて、ちっとも思ってやしねえよ。ただ、お前があんまり辛そうで、何もしてやれねえ自分がもどかしいんだ」
誠吉は立ち上がり、部屋の隅に行った。普段、仕事場にしている小机の引き出しを開けている。直に何かを手にして戻ってきた。
「もう無理に思い出そうとするのは止めろ。前は今のままのお前で良いじゃねえか。たとえ、昔、どこで何をしていた人間であろうと、どういう名前だったんであろうと、今、お前はここでこうやって暮らしてる、生きている。それだけで良いんじゃねえのか。生きてる限り、お前の前には無限の未来がひろがってるんだぜ。いつまでも思い出せねえ過去にこだわって苦しむより、これから先を見つめて生きていった方が良い」
「―」
泉水は無言であった。
確かに、誠吉の言うとおりかもしれない。いつまでも過去に囚われているよりは、これから先のことを考えるべきなのかもしれない。
それでも。
あの闇の彼方からずっと自分を呼び続けてくれている人のことが気になってならない。あの声を耳にする度に、心が引き裂かれるような哀しみを憶えるのだ。
誠吉の言うように前向きに生きていった方が良いのだと思う傍ら、あの切ない呼び声を無視することも忘れ去ることもできないと思う。
「これを受け取ってくれねえか」
ふと差し出されたのは、かんざしであった。
二つの夕顔の花を象った愛らしいかんざしは、やはり泉水が事故に遭った時、持っていたものと同様、黄楊でできている。