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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第9章 驟雨

 丹精込めて作り上げた夕顔のかんざしを贈ってから、十日近くが過ぎている。
 おさよの態度はあれからも変わらない。時折、一人で泣いていたらしく赤い眼をしていることもあるし、夜は相変わらず夢を見て、うなされているようだが、誠吉の前で何かを思い出したいとか、思い出そうとするそぶりは見せなくなった。
 誠吉も所帯を持つ話は持ち出していないし、おさよの方からも何も言ってこない。
 だが、そろそろ返事を聞かせてくれても良いのではないかと、誠吉自身は考えていた。
 そんなところに、あの、おさよの亭主だったという男が現れた。今日のところは追い返したものの、このまま上手く騙しおおせるだろうかという不安がある。
 万が一、あの男が再び来ないとは限らないのだ。その時、もし、おさよとあの男がばったり出逢い、顔を見るようなことがあったら。
―嫌だ、おさよは俺の物だ。誰にも渡さねえ。
 誠吉は明らかに焦りを憶え始めていた。
 おさよと一つ傘の下で身を寄り添い合ようにして歩きながら、誠吉は改めて思った。
 違う、この女は断じて泉水などという女ではない。
 この女の名は、誠吉にとっては、おさよだ。
 誰のものでもない、誠吉が助け、生き返らせた女だった。
 誠吉は再び視線を感じた。
 おさよが上目遣いに誠吉を見ている。その眼には怯えの色が浮かんでいた。
―まずいな。俺は今、そんなに怖え顔をしているのか。
 誠吉は作り笑顔を浮かべてみたが、おさよはうつむいたまま、地面を叩く雨を見つめているばかりで、誠吉の方をもう見ようともしない。誠吉の中で、焦りと苛立ちは募るばかりであった。
 降り止まぬ雨が二人の着物の袖や肩をしとどに濡らす。
二人は黙りこんだまま家までの道を歩いた。

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