胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第10章 幻
泉水を愛するがあまり無体なふるまいに及ぼうとしたものの、けして根は悪い人間ではなかった。たとえ男女間の感情ではないにせよ、泉水は確かに誠吉を兄のように思っていたのだ。
泉水は我知らず小さな吐息を吐き出していた。蒼色の絵の具を一面に塗ったような空に、刷毛ではいたようなひとすじの雲がたなびいている。
あの事件以来、流石に〝お転婆姫〟と呼ばれる泉水も屋敷を抜け出すことは控えていた。とは言っても、所詮、ほとぼりがさめる間までのことにすぎず、漸く良人泰雅の許しも得たこともあり、今年に入ってからは月に何度かはお忍びで江戸の町へ出ている。
年が変わったばかりの正月早々、泰雅が笑いながら言った。
―そろそろ、例の虫が騒ぎ出してるんじゃねえのか? どうせ放っておいても、勝手に抜け出しちまうのは判ってるからな、お前が一人で黙って飛び出して、また、あんな心配をかけられたんじゃア、俺もたまらねえ。良いか、これだけは約束してくれ、町へ出るのは構わねえが、絶対に内緒で出かけたりはしねえこと、これだけは守って欲しい。
泉水自身、そろそろ屋敷内にじっと閉じこもっているだけの日々にもうんざりとしていたところだった。流石に泰雅はただの女好きだけではない切れ者と評判どおり、泉水の考えなぞ、とうに見透かしていたようだ。
何しろ、あれほどあまたの女から女へと渡り歩いていた泰雅が今は泉水一人を守り、他の女には眼もくれないほど泉水に夢中なのだ。泰雅は本音をいえば、泉水に伴の一人でもつけることを更に条件に加えたいようではあったが、これには泉水が猛然と異を唱え、沙汰止みとなった。
榊原家の家臣いわく〝殿は奥方さまにはお弱い〟のだ。ここでまた、強制的にお付きの者を連れてゆけとでも命じれば、泉水がヘソを曲げ、何をしでかすか―、万が一、勝手に町へ出て行くかもしれない。
何しろ、相手はあの〝お転婆姫〟だ。きれいな打掛や小袖を身に纏い、屋敷の奥深くで琴を弾いたりするような姫ではない。嫁ぐ前は庭で木刀を振り回し、庭の樹に登るのを日課としていた姫である。世の常識的な女性一般の枠では推し量ることができない。
泉水は我知らず小さな吐息を吐き出していた。蒼色の絵の具を一面に塗ったような空に、刷毛ではいたようなひとすじの雲がたなびいている。
あの事件以来、流石に〝お転婆姫〟と呼ばれる泉水も屋敷を抜け出すことは控えていた。とは言っても、所詮、ほとぼりがさめる間までのことにすぎず、漸く良人泰雅の許しも得たこともあり、今年に入ってからは月に何度かはお忍びで江戸の町へ出ている。
年が変わったばかりの正月早々、泰雅が笑いながら言った。
―そろそろ、例の虫が騒ぎ出してるんじゃねえのか? どうせ放っておいても、勝手に抜け出しちまうのは判ってるからな、お前が一人で黙って飛び出して、また、あんな心配をかけられたんじゃア、俺もたまらねえ。良いか、これだけは約束してくれ、町へ出るのは構わねえが、絶対に内緒で出かけたりはしねえこと、これだけは守って欲しい。
泉水自身、そろそろ屋敷内にじっと閉じこもっているだけの日々にもうんざりとしていたところだった。流石に泰雅はただの女好きだけではない切れ者と評判どおり、泉水の考えなぞ、とうに見透かしていたようだ。
何しろ、あれほどあまたの女から女へと渡り歩いていた泰雅が今は泉水一人を守り、他の女には眼もくれないほど泉水に夢中なのだ。泰雅は本音をいえば、泉水に伴の一人でもつけることを更に条件に加えたいようではあったが、これには泉水が猛然と異を唱え、沙汰止みとなった。
榊原家の家臣いわく〝殿は奥方さまにはお弱い〟のだ。ここでまた、強制的にお付きの者を連れてゆけとでも命じれば、泉水がヘソを曲げ、何をしでかすか―、万が一、勝手に町へ出て行くかもしれない。
何しろ、相手はあの〝お転婆姫〟だ。きれいな打掛や小袖を身に纏い、屋敷の奥深くで琴を弾いたりするような姫ではない。嫁ぐ前は庭で木刀を振り回し、庭の樹に登るのを日課としていた姫である。世の常識的な女性一般の枠では推し量ることができない。