胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第10章 幻
―姫、私はいつか槙野の家に相応しき、立派な男子になりたいと存じます。
―私は今の、そのままの姫が好きです。だから、ずっと今のままで変わらないで下さいませんか。―たとえ、私の妻になっても。
少しはにかんだような顔で告げた祐次郎の表情の一つ一つまでもが眼裏にありありと蘇る。
心優しい少年だった。病がちで、しばしば床に伏すこともあったというが、微塵も暗い翳りはなく、むしろ、己れの弱さを弱さとして認め、その上で強くなろう、弱さを克服しようと努力していた。
そんな祐次郎に、泉水は淡い好意を抱き始めていた。その矢先、祐次郎は突然、泉水の前から姿を消した。そう、二人だけで咲き誇る椿を見た一年後、祐次郎は死神に二度と帰れぬ遠い場所へと連れてゆかれてしまった。まだ十四歳だった。
―祐次郎さま。
泉水は思わず叫んで、駆け寄りたい衝動に駆られた。それほど、若い僧は亡き許婚者によく似た面差しをしている。最後に見た八年前の、祐次郎の顔と眼前の美しき僧の顔が自然に重なった。
―馬鹿な、そんなことがあるわけない。祐次郎さまは、八年も前にお亡くなりになったのだもの。
祐次郎が亡くなった時、泉水は十歳の童女にすぎなかった。軽い風邪をこじらせたのが因(もと)で、寝付くことさえなく、容態が急変して呆気なく息を引き取ったのだと。
そう、聞かされた。泉水はまだ幼少のため葬儀には出なかったけれど、乳母の時橋が代参で列席、また、むろんのこと父槙野源太夫も参列したのだ。現に、泉水は一度だけ、祐次郎の墓参をしたことがある。あれは確か浅草の英泉寺という寺だった。小さな五輪塔には、〝賢容院俊誉祐学居士〟と祐次郎の戒名が刻み込まれていた―。
そんなことがあるはずがない、祐次郎が生きて、この世に存在するなぞ、ありえない話だ。墓さえあるというのに、その墓の下に眠っているはずの人がこうして眼の前に立っているはずなどないではないか。
世の中には、そっくり同じ顔をした人間が必ず二人、いや三人はいるという。ならば、今、祐次郎と瓜二つの顔をしたこの僧も赤の他人、泉水の前に現れたのは、ほんの偶然にすぎない。必死に心の中に湧き起こる疑念を打ち消そうとする。
―私は今の、そのままの姫が好きです。だから、ずっと今のままで変わらないで下さいませんか。―たとえ、私の妻になっても。
少しはにかんだような顔で告げた祐次郎の表情の一つ一つまでもが眼裏にありありと蘇る。
心優しい少年だった。病がちで、しばしば床に伏すこともあったというが、微塵も暗い翳りはなく、むしろ、己れの弱さを弱さとして認め、その上で強くなろう、弱さを克服しようと努力していた。
そんな祐次郎に、泉水は淡い好意を抱き始めていた。その矢先、祐次郎は突然、泉水の前から姿を消した。そう、二人だけで咲き誇る椿を見た一年後、祐次郎は死神に二度と帰れぬ遠い場所へと連れてゆかれてしまった。まだ十四歳だった。
―祐次郎さま。
泉水は思わず叫んで、駆け寄りたい衝動に駆られた。それほど、若い僧は亡き許婚者によく似た面差しをしている。最後に見た八年前の、祐次郎の顔と眼前の美しき僧の顔が自然に重なった。
―馬鹿な、そんなことがあるわけない。祐次郎さまは、八年も前にお亡くなりになったのだもの。
祐次郎が亡くなった時、泉水は十歳の童女にすぎなかった。軽い風邪をこじらせたのが因(もと)で、寝付くことさえなく、容態が急変して呆気なく息を引き取ったのだと。
そう、聞かされた。泉水はまだ幼少のため葬儀には出なかったけれど、乳母の時橋が代参で列席、また、むろんのこと父槙野源太夫も参列したのだ。現に、泉水は一度だけ、祐次郎の墓参をしたことがある。あれは確か浅草の英泉寺という寺だった。小さな五輪塔には、〝賢容院俊誉祐学居士〟と祐次郎の戒名が刻み込まれていた―。
そんなことがあるはずがない、祐次郎が生きて、この世に存在するなぞ、ありえない話だ。墓さえあるというのに、その墓の下に眠っているはずの人がこうして眼の前に立っているはずなどないではないか。
世の中には、そっくり同じ顔をした人間が必ず二人、いや三人はいるという。ならば、今、祐次郎と瓜二つの顔をしたこの僧も赤の他人、泉水の前に現れたのは、ほんの偶然にすぎない。必死に心の中に湧き起こる疑念を打ち消そうとする。