胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第10章 幻
僧が婉然と微笑む。
「流石は榊原さまのご内室でいらっしゃる。一瞬で、ここがどこなのかを見抜いてしまわれましたね。ですが、ご安心なされませ。私は鬼でも魔物でもございません。あなたさまを取って喰おうなぞとは、つゆほども考えてはおりませぬよ」
そこで、僧はまた、耳障りな笑い声を響かせる。
「それとも、あなたは夢を喰らうという魔物に―、いえ、夢そのものに喰われてしまいたいと思し召されますか?」
「夢に―喰らわれる?」
存在ばかりか、紡ぎ出す言葉さえもが謎めいている。
「獏という獣をご存じでしょうか、人の見る悪夢を喰らうという伝説上の生きものです」
泉水は眼を見開く。獏という想像上の動物のことなら、耳にしたことはある。唐(から)の国で考え出された、悪しき夢を食べてくれる獣である。
「あなたには、獏に食べて欲しいと思う夢はおありでしょうか」
美しき僧の双眸がじいっと射貫くように見つめている。そのまま見つめられていると、無限の闇に心まで絡め取られてしまうようで、瞳の奥の闇に吸い込まれてしまいそうで。
泉水は眼を伏せた。瞼に再び想い出が蘇ってゆく。
祐次郎と二人で眺めた見事な椿。鈍色の空をつんざく雷。滝のように白い飛沫(しぶき)を上げて降っていた雨。
―私は、今の、そのままの姫が好きです。だから、ずっと今のままで変わらないでいて下さい。
祐次郎の声が耳奥でこだまする。
「嫌な夢はすべて獏にくれてやれば良い。そして、新たな夢を、未来を紡いでゆきたいと思ったことはありませんか」
想い出の狭間で揺れる泉水の心を更に僧の言葉が揺さぶる。
そう、祐次郎が亡くなった後、泉水は幾度思ったことだろう。これが悪い夢ならば、どんなに良いか。眼が覚めれば、祐次郎はちゃんと生きていて、事態は何もこれまでと変わってはいない―、そうであれば良いと何度も願った。
でも、あれは夢などではなかった。祐次郎は確かに死んだのだ。
「もし、あなたの知らない、もう一つの未来があるのだとしたら、あなたは、その未来を覗いてみたいとは思いませんか」
「流石は榊原さまのご内室でいらっしゃる。一瞬で、ここがどこなのかを見抜いてしまわれましたね。ですが、ご安心なされませ。私は鬼でも魔物でもございません。あなたさまを取って喰おうなぞとは、つゆほども考えてはおりませぬよ」
そこで、僧はまた、耳障りな笑い声を響かせる。
「それとも、あなたは夢を喰らうという魔物に―、いえ、夢そのものに喰われてしまいたいと思し召されますか?」
「夢に―喰らわれる?」
存在ばかりか、紡ぎ出す言葉さえもが謎めいている。
「獏という獣をご存じでしょうか、人の見る悪夢を喰らうという伝説上の生きものです」
泉水は眼を見開く。獏という想像上の動物のことなら、耳にしたことはある。唐(から)の国で考え出された、悪しき夢を食べてくれる獣である。
「あなたには、獏に食べて欲しいと思う夢はおありでしょうか」
美しき僧の双眸がじいっと射貫くように見つめている。そのまま見つめられていると、無限の闇に心まで絡め取られてしまうようで、瞳の奥の闇に吸い込まれてしまいそうで。
泉水は眼を伏せた。瞼に再び想い出が蘇ってゆく。
祐次郎と二人で眺めた見事な椿。鈍色の空をつんざく雷。滝のように白い飛沫(しぶき)を上げて降っていた雨。
―私は、今の、そのままの姫が好きです。だから、ずっと今のままで変わらないでいて下さい。
祐次郎の声が耳奥でこだまする。
「嫌な夢はすべて獏にくれてやれば良い。そして、新たな夢を、未来を紡いでゆきたいと思ったことはありませんか」
想い出の狭間で揺れる泉水の心を更に僧の言葉が揺さぶる。
そう、祐次郎が亡くなった後、泉水は幾度思ったことだろう。これが悪い夢ならば、どんなに良いか。眼が覚めれば、祐次郎はちゃんと生きていて、事態は何もこれまでと変わってはいない―、そうであれば良いと何度も願った。
でも、あれは夢などではなかった。祐次郎は確かに死んだのだ。
「もし、あなたの知らない、もう一つの未来があるのだとしたら、あなたは、その未来を覗いてみたいとは思いませんか」