胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第10章 幻
僧の言葉に泉水は首を振った。
「お坊さま、人に、もう一つの未来などありません。確かに人生は必ず何かを選び取って進んでゆくものですけれど、ひと度、選び取った道が真実、もしかしたらなんてことを考えても意味はないのではございませんか。道を選び取る前には、幾つかの可能性はありますが、いったん進んでしまえば、道はたった一つ―、つまり結局は未来もただ一つしかない、ということです」
「大人になられましたね、姫」
僧が微笑する。
「今のあなたのお考えは、よく判りました。最早、あなたにとっては夢は夢、想い出のすべては過去の残骸でしかないのですね。ですが、私はそう容易くは諦めませぬ」
「あなたは一体、何を―」
何を諦めないというの? そう訊こうとした泉水に、僧が冷たい笑みを刻んだ。まるで、見る者の心を瞬時に凍えさせてしまうほどに。それほどまでに酷薄な笑みであった。
「今日は、ひとまず、お帰りなさい。あなたが選んだ、たった一つの現実とやらの世界に」
僧が御堂の扉を開ける。ギィーと軋んだ音が響き、ひとすじの光が小さな堂に入り込んできた。それは、今の泉水には、あたかも現(うつつ)と夢、あるいは、彼岸と此岸をつなぐ、たったひとすじの光のようにも思える。
その細い光に照らされた僧の横顔に、泉水は息を呑んだ。秀でた形の良い額、頬から顎にかけてのなだらかな線、そして何より、澄んだきれいな瞳。
「祐次郎さま!」
あまりに似ているその横顔に思わず名を呼んでいた。
美しき僧がゆっくりと首をねじ曲げるようにして泉水を見た。
「あなたは堀田の―祐次郎さまではございませんか!?」
夢中で訊ねると、まだ若い僧はどこか遠い、虚ろなまなざしで呟いた。その眼(まなこ)が映ずるのは、無限の空(くう)ばかり。
「はて、遠き昔のことは皆、忘れ去りました。出家は、親兄弟との縁(えにし)を初め、この現し世とのすべての拘わりを断ちますものゆえ。されど、もしや、はるかな昔に、そのような名で呼ばれていたことがあったやもしれませぬ」
その後で、くっくっと忍び笑いを洩らした。
「お坊さま、人に、もう一つの未来などありません。確かに人生は必ず何かを選び取って進んでゆくものですけれど、ひと度、選び取った道が真実、もしかしたらなんてことを考えても意味はないのではございませんか。道を選び取る前には、幾つかの可能性はありますが、いったん進んでしまえば、道はたった一つ―、つまり結局は未来もただ一つしかない、ということです」
「大人になられましたね、姫」
僧が微笑する。
「今のあなたのお考えは、よく判りました。最早、あなたにとっては夢は夢、想い出のすべては過去の残骸でしかないのですね。ですが、私はそう容易くは諦めませぬ」
「あなたは一体、何を―」
何を諦めないというの? そう訊こうとした泉水に、僧が冷たい笑みを刻んだ。まるで、見る者の心を瞬時に凍えさせてしまうほどに。それほどまでに酷薄な笑みであった。
「今日は、ひとまず、お帰りなさい。あなたが選んだ、たった一つの現実とやらの世界に」
僧が御堂の扉を開ける。ギィーと軋んだ音が響き、ひとすじの光が小さな堂に入り込んできた。それは、今の泉水には、あたかも現(うつつ)と夢、あるいは、彼岸と此岸をつなぐ、たったひとすじの光のようにも思える。
その細い光に照らされた僧の横顔に、泉水は息を呑んだ。秀でた形の良い額、頬から顎にかけてのなだらかな線、そして何より、澄んだきれいな瞳。
「祐次郎さま!」
あまりに似ているその横顔に思わず名を呼んでいた。
美しき僧がゆっくりと首をねじ曲げるようにして泉水を見た。
「あなたは堀田の―祐次郎さまではございませんか!?」
夢中で訊ねると、まだ若い僧はどこか遠い、虚ろなまなざしで呟いた。その眼(まなこ)が映ずるのは、無限の空(くう)ばかり。
「はて、遠き昔のことは皆、忘れ去りました。出家は、親兄弟との縁(えにし)を初め、この現し世とのすべての拘わりを断ちますものゆえ。されど、もしや、はるかな昔に、そのような名で呼ばれていたことがあったやもしれませぬ」
その後で、くっくっと忍び笑いを洩らした。