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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第11章 花

 あの日、泉水は一人で江戸の町に出かけた。例のお忍びでの外出だ。時橋もまた泰雅と同様、泉水の外出に全面的に賛成というわけではない。できれば止めて欲しいと思っている。
 しかし、〝お転婆姫〟と呼ばれる泉水の気性として、長い間屋敷内に閉じこもっているだけの日々に満足できるとは思えない。いずれ退屈すれば、勝手に屋敷を抜け出そうとするだろう。
 他人のためには自分の身の危険さえ厭わぬ怖いもの知らずの姫に、黙って屋敷を抜け出されては一大事だ。また、いつどこで、どのような災難に巻き込まれぬとも限らない。
 やはり、ここは、泉水に抜け出されるより前に、先手を打った方が良いと、泰雅の意見をむしろ歓迎した。
 確かに、今年になって泉水はしばしばお忍びで外出するようになったが、約束どおり、事前に時橋に出かけると告げてから屋敷を出ている。少なくとも、今のところは以前のように泉水の姿が見当たらないと気付いたときには、もう屋敷内にはいなかった―ということだけはない。
 それはそれで良いのだが、やはり、泉水がたった一人で江戸市中を徘徊していると考えれば、時橋は心配でたまらない。
―時橋は心配性じゃな。私はもう幼い童ではない。
 泉水はそう言って笑うのだけれど、それは泉水自身が己れの無鉄砲さを全く認識していないからだ。全く何をしでかすか判らない無謀さがこの姫には昔からあり、そんなところは幼い頃と少しも変わってはいない。
 数日前の外出中に泉水の身に何事か起きたのは間違いない―、時橋は確信めいた想いを抱いた。が、今ここで泉水にそのことについて深く追及してみても、泉水がけして口を開かぬであろうこともよく心得ている。
 これでも、だてに〝じゃじゃ馬姫〟を十八年間見てきたわけではない。真っすぐな気性の泉水は少々頑固で、一度言い出したら、絶対にテコでも動かない。
 泉水のここのところの塞ぎようは著しく、時橋としては不安でならないけれど、ここはひとまず様子を見守り、事態を静観するしかなさそうであった。
「お方さま、表より先刻、先触れが参りました。直にご家老の脇坂さまがお越しになられるとのことにございます」
 何でもないように告げると、泉水の虚ろな眼に初めてわずかな光が戻った。

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