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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第11章 花

「お方さま、あれでよろしかったのでございますか?」
 ぼんやりと物想いに耽っていた泉水は、時橋の声にふと現実に引き戻された。
「お方さまの先ほどのご対応は真にご立派でいらっしゃいました。この時橋、おん幼くて、やんちゃばかりなされていた小姫(ちいひめ)さまがよくぞここまで大人におなりあそばされたものよと、そのご成長ぶりを心から嬉しく誇らしう存じました。さりながら、榊原家のご正室としては真に模範的なおふるまいなれど、ただ一人の女人としては、いかがなものでござりましょうか」
 泉水が名門榊原家の正室として毅然とふるまおうとすればするほど、時橋は泉水を哀れに思わずにはおれなかった。
 泉水は明らかに無理をしている。本当は良人泰雅が側室を持つことなど望みもしないのに、物判りの良い妻を演じてみせようとしている。たとえ昔はどれほどの数の女と浮き名を流そうと、今の泰雅は泉水一人を守り、心から慈しんでいる。
 恐らく、いくら重臣たちが泰雅に侍妾を勧めたとしても、泰雅は泉水以外の女に眼を向けようとはしないだろう。そのことについては時橋には、ある種の確信がある。
 が、肝心の泉水がこうまで鷹揚な態度を見せているとなると、事態は思わぬ方に流れてゆく可能性もあった。泰雅本人が望むと望まざるに拘わらず、脇坂を初め重臣たちがはかって強制的に側室を持たせようとするかもしれない。
 そうなれば、泰雅がいかほど泉水の他、女は要らぬと主張したところで、その意は通らぬであろうし、また、榊原氏の当主として家臣一同の要望を受け容れぬわけにはゆかなくなる。
 そんな最悪の事態を迎える前に、何としてでも阻止せねばならない。
「人は時には素直になった方が良い場合もございます。去年の夏、殿のご落胤騒動が起こりし折、お方さまは仰せになられましたね、良人がいそいそと他の女子の許に出かけてゆくのを歓ぶ妻がどこにいるであろうかと」
 泉水は黙り込んだまま庭を見ている。
 時橋はその強ばった横顔を見つめたまま続けた。

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