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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第1章 《槇野のお転婆姫》

 男の言うことは道理である。今日はこの男が運良く通りがかったから良かったものの、もし助けがなければ、泉水はどうなっていたか―、秋月の好きなようにされ、男たちの間でなぶりものになっていたかもしれないのだ。
「申し訳ありません、私ったら、考えなしで」
 改めてそう考えると、怖ろしさで身体が震えてきた。
「いや、何もお前を責めてるわけじゃない。実際、なかなかあんな場面でさっと乗り込んでいけるのは、よほどの勇気を持った人間じゃなけりゃできねえことだ。俺はむしろ感心してるんだぜ。たいしたもんだ」
 今度は臆面もなしに賞められ、泉水はますます赤くなった。
 そんな泉水の初々しい様子を男は微笑んで見つめている。
「あの秋山って奴は、執念深い奴らしいぜ。お前もしばらくは気をつけた方が良い。家はどこだ、送っていこう」
 泉水は、その言葉に首を振った。
「いえ、もうすぐそこですから」
「本当に一人で大丈夫か?」
 なおも気遣わしげな男に、泉水は淡く微笑った。
「はい」
「そうか。なら、気をつけてな」
 泉水が頷いて、もう一度頭を下げたその時。
 ふいに一陣の風が二人の間を駆け抜けた。
 橋のたもとの桜が梢をさわさわと揺らし、桜貝のような薄紅色の花びらが雪のように風に舞う。
 男が泉水を見つめる。
 泉水もまた男を見つめる。
 はらはらと降りしきる花びらの雪の中、時分と男を取り巻く時間が刹那、止まったような気がした。
 それは随分と長い時間のように思えた。
「また、逢えるか?」
 男が訊ねてよこす。
 心なしか、男の声が先刻よりも掠れていた。
 男の声で、制止した時間が再び流れ出す。
「―はい」
 気が付いたら、泉水は頷いていた。
 何故だろう、初めて逢った男なのに、どうして、こんなに気になるのだろう。
 まるで胸の奥の鼓動が相手に気づかれてしまうだろうと不安になるほどに大きくなるのは、どうして―?
 我に返った時、男はもうその場所にはいなかった。泉水は茫然として、男の立っていた場所を見つめる。

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