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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第11章 花

「何だ? 殊勝にしておるところもまた、なかなか新鮮で可愛いが、やはり、そなたには笑うておる方が似合うぞ? ほれ、そのように泣いてばかりいては、お転婆姫の名を返上せねばなるまい。時橋もたいそう心配していたぞ」
 今宵、泰雅が突如として、このような話題を閨で持ち出した裏には、時橋が絡んでいるらしい。大方、泰雅に昨日の脇坂が訪ねてきた件やら、ここ数日の泉水の様子やらを話したのだろう。
 もちろん、切れ者の良人のことだ、たとえ時橋に言われずとも、泉水の態度の変化なぞ、とうから見抜いていたには違いない。
「―ん? 泉水、そなた、熱があるのではないか」
 唐突に言われ、かえって当の泉水の方が愕く有り様であった。泰雅は泉水の額に手のひらをのせ、思案顔になった。
「もしや気分が優れぬのは、熱のせいだったのか?」
 泰雅が笑った。
「馬鹿だな、具合が悪いと申せば、いかに俺だとて、今宵は床を共にするのは控えたぞ。言っておくが、俺は、そこまでこらえ性のない男ではないからな」
 と、半ば冗談のように言い、泉水の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「今夜はもう寝(やす)め。俺は自分の部屋に戻るゆえ、ゆるりと手脚を伸ばして眠るが良いぞ」
 優しさのこもった口調で言い残し、そのまま本当に表に戻っていった。
―お優しい方。
 泉水は泰雅の優しい笑顔を切なく瞼に蘇らせながら、眠れぬままに幾度も床の中で寝返りを打った。泰雅は生涯、側室は持たぬと言い切った。もし、二人の間に子宝が授からなければ、分家から養子を迎えて跡目を継がせれば良いのだとも。
 口にするのは容易いけれど、それだけの決意をするのには相当の覚悟を必要としたはずだ。人は誰しも自分の血を受け継ぐ我が子に跡を継がせたいものだ。泰雅だとて、その想いが皆無とはいえまい。
 それなのに、たとえ我が子でなくとも良い、分家の者に跡を譲るのだと言った。つまり、我が子に榊原家の家督を譲るよりも、泉水ただ一人を妻として守るという意思を貫くというのだ。これが、かつて稀代の女狂い、遊び人と陰口を叩かれた男の科白だった。

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